| 関東第一高等学校時代に始めたレスリング(グレコローマンスタイル)が現在の格闘スタイルの基礎であり、全国高校大会3位に入賞を果たした。 |
| 1996年に拓殖短期大学に進学すると、全日本ジュニアオリンピック優勝を果たし、世界ジュニア選手権に出場した。 |
| 拓殖短期大学を卒業した1998年4月に渡米して、ロサンゼルスのビバリーヒルズ柔術クラブに所属。 |
| アメリカの格闘技大会に出場して経験を積む。 |
| 1999年8月の帰国後はパンクラスを主戦場として、この頃より凝った入場と格闘技の試合にプロレス技を繰り出すことで格闘技ファンの注目を集めた。 |
| パンクラスでは菊田早苗らともに格闘家チームGRABAKAの立ち上げメンバーとなるが、活動の範囲をさらに広げるべく、2000年12月に再渡米。 |
| 2001年に帰国してもパンクラスへ復帰することはなく、リングスやUFCで試合を行った。 |
| UFCでは試合後に「WeAreAllOne」と書かれた旗(各国の国旗が小さくプリントされているもの)を掲げる・または纏うことでも有名。 |
| 毎回衣装やダンスに凝り、時にはカンフー着のままで試合をする等、入場から試合後まで、全時間をパフォーマンスとして捉えている(後述)。 |
| K-1WORLDMAXでのデビュー戦は、2002年2月11日の日本代表決定トーナメント。 |
| 第一戦は、日本キックボクシング界のエース的存在であった小比類巻貴之であったが、バックブローで1Rに小比類巻からダウンを奪う。 |
| 結局、逆転負けを喫したが、この試合でその後の自らのサクセスストーリーを描くこととなった。 |
| ちなみにこの試合で決定打を放ったバックブローを使った動きは、かつてシュートボクシングで活躍していたマンソン・ギブソンや、ボクシング界の異端児であったナジーム・ハメドを参考にしたと本人が後日語っている。 |
| その後、バックハンドブローのフェイントを多用するため、試合中何度も相手に背中を向ける展開が多かった。 |
| 以後はK-1系の総合格闘技イベントHERO'Sにも出場。 |
| 試合中に相手選手にお尻を向け、怪しげな手と足の動きで歩み寄ったりすることが多いため、前田日明HERO'Sスーパーバイザーから、「トリッキーすぎる」と批判をされたこともあったが、須藤は「これが自分のスタイルです」とかわすなど、入場パフォーマンスを含めた自身のスタイルにこだわりを見せた。 |
| 2005年以降は総合格闘技イベントHERO'S、Dynamite!!などK-1系の興行を主戦場に、CMや映画出演、雑誌への露出など芸能活動に活動の幅を広げた。 |
| 2002年10月19日、『凶気の桜』で映画俳優デビュー。 |
| 2003年7月24日、渋谷連続通り魔事件の被害に遭った。 |
| 原付バイクで走っていた際、背後から右脇腹を刺されたが、かすり傷だったため、本人は刺されたことに気付いていなかった。 |
| 次の日から新極真空手の合宿に参加している。 |
| 2003年12月31日、K-1PREMIUM2003Dynamite!!にて、体重差110kgのバタービーンに2Rヒールホールドで一本勝ち。 |
| 観戦していたヒクソン・グレイシーから小よく大を制す理想的な戦いでありサムライでもあると評される。 |
| 2004年5月22日、K-1MMAChampionshipROMANEXにて、ホイラー・グレイシーに1RKO勝ち。 |
| KO後、ホイラーに対し手を合わせ「グレイシー柔術」に対する敬意を露にした。 |
| 2005年10月25日、『幸福論』で作家デビュー。 |
| 2005年12月31日、K-1PREMIUM2005Dynamite!!にて、山本"KID"徳郁と対戦し、TKO負けを喫した。 |
| 2006年、『世界遺産ナスカ展〜地上絵の創造者たち〜』(国立科学博物館)の応援サポーターを務める(ナスカ展は2007年以降に京都文化博物館でも開催)。 |
| 2006年9月4日、K-1WORLDMAX2006〜世界王者対抗戦〜でイアン・シャファーに右上段後ろ回し蹴りでダウン後レフェリーストップで2R0分59秒TKO負けを喫した。 |
| 2006年9月6日、「Love&Everything」で歌手デビュー。 |
| 2006年12月31日、K-1PREMIUM2006Dynamite!!にて、ジャクソン・ページと対戦、1R3分5秒三角絞めで一本勝ちを収めた。 |
| 試合後にはリング上で突然の引退宣言を行った。 |
| 欠場を続けざるをえなかったほどの深刻な首の怪我が引退の原因と言われている。 |
| 高校時代にこのビジョンを描いていたという。 |
| 2007年11月22日に一般女性との結婚を発表した。 |
| 2008年8月23日公開の日本映画『R246STORY』(6編の短編から成るオムニバス映画)の中の「ありふれた帰省」で映画初監督(自身も主演)を務めた。 |
| 2008年11月1日、拓殖大学レスリング部監督に就任した。 |
| 2008年12月30日、テレビ朝日『ビートたけしの超常現象(秘)Xファイル』に出演し、量子論による意識の解釈で論争を巻き起こした(量子脳理論参照)。 |
| 2009年1月29日、拓殖大学大学院に新設された地方政治行政研究科に合格。 |
| 同年4月に入学した。 |
| 2009年3月22日、東京マラソン2009に出場し、5時間46分19秒で完走した |
| 2009年5月22日、拓大レスリング部監督として東日本学生リーグ戦で就任以来初となる優勝を決め、最優秀監督賞を受賞した。 |
| 2009年、北海道網走市に夢だったログハウスを建て、1か月のうち1-2週間ほど生活している |
| 2009年、パフォーマンスユニット「WORLDORDER」を結成し |
| 2010年8月7日公開の映画『仮面ライダーWFOREVERAtoZ/運命のガイアメモリ』にオカマの泉京水(ルナドーパント)役で出演。 |
| 後に「仮面ライダーWリターンズ仮面ライダーエターナル」にも出演予定。 |
| 2010年9月18日、拓大レスリング部監督として全日本学生レスリング王座決定戦で優勝を決め、4度目の最優秀監督賞を受賞。 |
| 監督就任後2年で4冠を達成する。 |
| 2010年10月、世界大学レスリング選手権大会に参加する日本代表チームのグレコローマンスタイル監督に就任。 |
| イタリアでの大会に同行。 |