| 1997年第2次橋本内閣改造内閣の内閣官房副長官に就任。 |
| 1998年には小渕内閣の防衛庁長官に就任するが、10月16日に防衛庁調達実施本部背任事件を理由として当時与党が過半数割れであった参議院で問責決議案が可決され、11月に辞任を余儀なくされる。 |
| この問題では多くの防衛庁幹部が引責辞任したが、額賀は力量を評価していた守屋武昌防衛施設庁施設部長を“3階級特進”で防衛庁長官官房長に抜擢している。 |
| 1999年小渕改造内閣で内閣官房副長官に再任され、2000年、第2次森改造内閣の経済企画庁長官に就任し、2001年1月の中央省庁再編で経済財政政策担当大臣となる。 |
| 橋本派では、橋本龍太郎、小渕恵三の次を担うとして、鈴木宗男、藤井孝男とともに名が上がり、派閥の「プリンス」と言われて将来を嘱望される立場になったが、KSD事件に絡み、KSDから1500万円の献金を受けていたため、経済財政政策担当大臣を引責辞任した。 |
| 2001年の小泉内閣発足後、橋本派は厳しい立場に追い込まれるが、自らは2002年に自民党幹事長代理、2003年に自民党政調会長に就任。 |
| 政調会長時代には自民党の聖域であった自民党税務調査会改革を行い、長老クラスの税調メンバー(インナー)による非公式幹部会の廃止を要請するなどし、長老によって税制を最終決定する閉鎖的な仕組みに切り込む。 |
| 2005年の第3次小泉改造内閣において再び防衛庁長官を務めるなど、要職を歴任していく。 |
| この間に鈴木・藤井が自民党を離党したこともあり、津島派唯一の総理総裁候補として麻垣康三に次ぐポジションにあるといわれた。 |
| 小泉純一郎首相から一任を受けて対応に当たることになった普天間基地移設問題では普天間基地返還に伴う代替施設としては様々な複数の案が出ては消えていって方針が定まらなかった中で、辺野古沿岸部埋め立てにおける基地建設を提言。 |
| 現地視察による沖縄関係者や米国政府要人との対談を経て、離陸用と着陸用の滑走路を分けて住宅地上空を外れることで騒音軽減を図る「V字型滑走路案」(発案は守屋次官と言われている)を出し、2006年に名護市長とアメリカの合意を取り付け、普天間基地返還の具体化に道筋をつけた。 |
| 過去2回の防衛庁長官在任中、いずれも北朝鮮によるミサイル発射に遭遇している(1998年・2006年)。 |
| 2006年7月5日の未明に発生した北朝鮮によるミサイル発射事件の発生を受けて、敵基地攻撃能力の保有を検討すべきと述べた(自衛戦争論)。 |
| 2006年総裁選では久間章生ら幹部の反対にあって立候補は見送ることになった。 |
| 2006年9月28日に津島派の会長代理に就任。 |
| 2007年5月「巡航ミサイル・トマホークのような精密誘導兵器の保有が必要か議論し、合理的な結論を出さければならない」「多数の弾道ミサイルで何度も攻撃を受ける場合、BMDだけに依存した防衛が完璧かどうかは検討しなければならない」と述べ、米国の打撃力を補完し、敵からのミサイル攻撃を積極的に防御する能力としてトマホークをあげた。 |
| 2007年8月27日に発足した安倍改造内閣で財務大臣に就任。 |
| 2007年9月12日に安倍首相が辞任を表明したことを受け、翌13日、記者の質問に対し「私は先頭に立つつもりです」と、誰よりも早く07年自民党総裁選出馬を示唆したが、福田康夫元官房長官の出馬が伝えられると、船田元、石破茂、青木幹雄等は福田支持、鳩山邦夫、久間章生等は麻生支持と派内での額賀に対する総裁候補としての認識は薄く、額賀は政策協定の名目で福田と妥協し、再度出馬を断念した。 |
| 2007年9月25日に発足した福田康夫内閣で財務大臣に再任。 |
| 2008年2月の東京で行われた先進国財相会議では議長を務め、共同声明において「財政上の措置で国内エネルギー価格を人為的に引き下げることは避けるべき」と述べた。 |
| この声明はガソリン国会において、ガソリン税の暫定税率維持のために議長特権で挿入されたと指摘があったが、額賀は「参加国の総意として掲げた」として議長特権を否定した。 |
| また民主党の政局戦術の影響で4月にガソリンの値段が大幅に引き下げられた際に、財務大臣として道路予算削減か暫定税率復活か迫られた際には、早期の暫定税率復活を求める方針を示して、5月に暫定税率を復活させた。 |
| 2008年8月1日の福田改造内閣の発足に伴い退任。 |
| 9月の福田退陣後の総裁選では動向が注目されたが、派内では青木が与謝野支持に動く一方、石破が若手の支持を受けて出馬し、額賀擁立論は高まらなかった。 |
| 2009年7月19日津島派代表の津島雄二が突如、次期総選挙に出馬しない事を表明 |
| 民主党の公認候補者が早期に決まらなかったことから額賀優位と見られていたが、2009年8月に行われた第45回衆議院議員総選挙に民主党の新人石津政雄に敗れ、小選挙区で初めて落選したが、比例代表の北関東ブロックで復活当選したhttp://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090730-OYT1T00850.htm。 |
| 2009年9月7日、津島派の幹部会で会長に指名され、派閥は額賀派となり派閥領袖となった |
| この決定が9日の津島派臨時総会で了承され |