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プロフィール
- 高原直泰とは
- ジュビロ磐田時代
- ブンデスリーガ時代
- 浦和レッズ時代
- 韓国時代
- 清水エスパルス時代
- 人物
- 経歴
- 所属クラブ
- 個人成績
- 出場大会など
- チームタイトル
- 個人タイトル
- 執筆書籍
- 関連書籍
- CM
- 関連項目
高原直泰(たかはらなおひろ、1979年6月4日-)は、静岡県三島市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。清水エスパルス所属。 元日本代表。
ジュビロ磐田時代
| 各年代で日本代表に選出され、1994年にはU-16代表としてアジア選手権に出場。 |
| 1998年にジュビロ磐田に入団し3月21日の開幕戦の京都パープルサンガ戦で途中出場、初出場・初得点を挙げる。 |
| 1999年にはワールドユースで3得点を挙げ準優勝、シドニーオリンピックでは3得点を挙げGL突破、A代表では2000年アジアカップに出場し優勝、またベストイレブンに選ばれる。 |
| 2001年8月にアルゼンチンの名門・ボカ・ジュニアーズのオファーを受けて移籍し6試合で1得点を挙げた。 |
| 12月にトヨタカップでの凱旋帰国が期待されたが、直前でメンバー落ちしてしまい出場が叶わずなど、必ずしもチーム首脳から確固たる信頼を得ていたとは言えなかった。 |
| 2002年初頭、アルゼンチンの経済情勢が悪化し通貨価値が1週間で半分以下になるなど情勢が混乱したことを理由にボカから契約解除となった。 |
| 帰国後、磐田に復帰し2002年のJリーグ開幕を迎える。 |
| 2002年、日韓W杯直前にエコノミークラス症候群後のアテネ五輪にオーバーエイジ枠で出場予定だったが、再び同じ症状が発症したため辞退する。 |
| を発症し落選。 |
| しかしその後復帰し、JリーグアウォーズでMVP、得点王(26得点、史上最年少)の二冠を獲得。 |
ブンデスリーガ時代
| ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVのオファーを受けて完全移籍。 |
| 一年目で連続無失点記録を継続中だったオリバー・カーン擁するバイエルン・ミュンヘン相手にゴールを決めるなどしたが、レギュラーはとれなかった。 |
| しかし、トーマス・ドルが監督に就任すると、FW中最多の7得点を挙げる。 |
| 翌2005-2006年シーズンはリーグ戦で21試合(先発は6試合)で1得点で終えた。 |
| 2004-05年、2006年ドイツW杯アジア1次予選にFW中最多出場でシンガポール戦の1得点。 |
| 最終予選はイラン戦に出場後、負傷理由により欠場し無得点に終わる。 |
| 2006年5月、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ3年契約で移籍。 |
| 6月に2006年ドイツW杯のメンバーに選出される。 |
| 開幕前に行われた強化試合で地元ドイツ相手に2ゴールを挙げる大活躍を見せたが、本大会のグループリーグ3試合で無得点に終わった。 |
| 12月3日、アレマニア・アーヘン戦で3得点を挙げブンデスリーガにおける日本人初のハットトリックを達成するなど、1か月で6得点を挙げる。 |
| 2007年5月5日のホームのアーヘン戦で得点を決め自己記録更新中の同リーグシーズン通算得点を11とした。 |
| また、欧州主要リーグでの年間二桁得点の達成は、1998-99年シーズンに中田英寿(当時ペルージャ)が達成して以来の快挙であった。 |
| この活躍もあってフランクフルトは1部に残留を決める。 |
| この年のフランクフルトサポーターが選ぶMVPにも選出されている。 |
| 3月24日、キリンチャレンジカップ、ペルー戦で代表に復帰し、オシムジャパン体制で初得点を挙げる(試合は2-0で勝利)。 |
| アジアカップ2007では合計4得点を挙げ、アジアカップにおいて日本人初の得点王に輝くが、2007-2008年シーズンはひざのケガでスタートが出遅れ、またフリードヘルム・フンケル監督との起用法における対立もあり、出場機会が激減した。 |
| その後、岡田ジャパン体制になってからは代表に呼ばれなくなった。 |
浦和レッズ時代
| 代理人であるトーマス・クロートと話し合いをした上で、浦和レッズとコンタクトがとれるかを確認。 |
| 浦和側がFWの補強を望んでいたこともあり、移籍金1億8500万円、年俸1億8000万の3年契約ロイター通信2008年1月6日。 |
| 2008年1月11日に約6年ぶりのJリーグ復帰となる移籍が決定。 |
| しかし、フランクフルトで試合出場機会が減ったことによるコンディション不良、また、長谷部、小野の移籍、ポンテもケガで出遅れるなどのパサー不足という状況もあり、2008年は合計8得点(リーグ6点、ACL1点、ナビスコ1点)に終わり、期待以上の働きをすることはできなかった。 |
| 2009年は昨シーズン限りで現役を引退した内舘秀樹に志願して、レギュラーナンバーの背番号7から馴染みの深い背番号19に変更した実際はゲンを担ぐことが目的だが、本人曰く、「自分には一桁の番号は、似合わない」と自覚していた。 |
| その後はしばらく途中出場が続いたが、リーグ中断中に行われたナビスコカップ予選リーグ第5節、対ジュビロ磐田戦でシーズン公式戦初ゴールをマークしたのを皮切りに好調を維持し、貴重なゴールを決めて勝利に貢献する時期もあったが、徐々にチーム状態が悪化し、さらに自身も不慣れな左右のMFで起用されて行く中で勢いを失い実際は好調を維持していた時期も本職のFWでの起用ではなく、左右のMFで起用されていた中で結果を出していた。 |
| 、再びスタメンを外れることも多くなっていった。 |
| そして最終的には合計6得点(リーグ4点、ナビスコ2点)という前シーズンを下回る成績でシーズンを終えることとなった。 |
| 2010年は開幕前からすでに構想外であり海外キャンプにも帯同しなかった、その理由として7月10日の会見で監督のフォルカー・フィンケより「去年の時点で今夏の移籍は決まっており、本来は昨冬に移籍するはずだった」ので「構想内の選手だけで練習するのは当然」とされた |
| 同年7月23日に韓国Kリーグの水原三星ブルーウィングスに完全移籍した。 |
| 移籍金は約4190万円。 |
韓国時代
| 水原での期待は大きく、Kリーグ最大の人気カードである対FCソウル戦では2ゴールをマークし「とにかく最高!!」と自身のブログで喜び爆発させた。 |
| シーズン終了後に自身のブログで「俺はこのチームで自分らしさを取り戻す事が出来たと思っています」と語った。 |
清水エスパルス時代
| 2011年シーズンはフロント主導でチーム改革を進める清水エスパルスから得点王を狙える大砲としてオファーを受け、1年契約+1年オプションの年俸2500万(2400万と報じたメディアもある)で完全移籍した。 |
| 5月22日J1第12節大宮戦で2ゴール、4ヵ国(日本、ドイツ、韓国、アルゼンチン)リーグ通算100ゴール達成。 |
人物
| 新人時代、ジュビロ磐田で共にプレーしていたドゥンガに言われた「調子に乗るなよ」という言葉を大切にしているこれは、マスコミ・ファンなどは調子が良ければ絶賛し、悪ければ批判するものなので、それに一喜一憂したりして惑わされてはいけない、という意味である。 |
| 同時期に、試合中に高原のプレーが自己満足じゃないのかと指摘した際には、ドゥンガは「1人でサッカーはするものじゃない。 |
| 1人でやりたいならコーナーキックも蹴ってくればいい」とコーナーキックを蹴らせたこともある。 |
| 稲本潤一によれば、人見知りするタイプではあるが一度仲良くなるとうっとうしいくらい人懐っこい性格とのこと。 |
| 2005年12月に、日本人女性と結婚した。 |
| 2009年2月28日、さいたま市内で乗用車を運転中、信号のない交差点で自転車の男性と出合い頭に接触し、男性に全治約6週間の重傷を負わす人身事故を起こした。 |
| なお高原にケガはなかった。 |
| 三島市のこばと保育園の園児時代からサッカーの才能を発揮し、室内フリーキックでガラスを数枚割った。 |
経歴
| 1998年3月21日-Jリーグ初出場、初得点-京都パープルサンガ戦(ジュビロ磐田スタジアム)。 |
| 2000年2月13日-A代表初出場(アジアカップ予選)-シンガポール代表戦(マカオ)。 |
| 2000年2月16日-A代表初得点(アジアカップ予選)-ブルネイ代表戦(マカオ)。 |
所属クラブ
| 1985年-1991年三島山田サッカースポーツ少年団。 |
| 1992年-1994年東海大一中学校。 |
| 1995年-1997年静岡県立清水東高等学校。 |
| 1998年-2002年ジュビロ磐田。 |
| 2001年ボカ・ジュニアーズ(レンタル移籍)。 |
| 2003年-2006年ハンブルガーSV。 |
| 2006年-2007年アイントラハト・フランクフルト。 |
| 2008年-2010年7月浦和レッドダイヤモンズ。 |
| 2010年7月-12月水原三星ブルーウィングス。 |
| 2011年-現在清水エスパルス。 |
個人成績
| Jリーグチャンピオンシップ2試合0得点。 |
| Jリーグチャンピオンシップ2試合0得点。 |
| スーパーカップ1試合0得点。 |
| UEFAインタートトカップ1試合0得点。 |
出場大会など
| ;U-16、U-17日本代表。 |
| 1994年AFCU-17選手権カタール大会(優勝)。 |
| 1995年FIFAU-17世界選手権エクアドル大会(グループリーグ敗退)。 |
| ;U-19、U-20日本代表。 |
| 1998年AFCユース選手権タイ大会(準優勝)。 |
| 1999年FIFAワールドユースナイジェリア大会(準優勝)。 |
| 2000年シドニーオリンピック(ベスト8)。 |
| 2000年AFCアジアカップ2000(優勝)。 |
| 2003年FIFAコンフェデレーションズカップ2003(グループリーグ敗退)。 |
| 2006年2006FIFAワールドカップ(グループリーグ敗退)。 |
| 2007年AFCアジアカップ2007(4位)。 |
チームタイトル
| AFCU-16選手権優勝:1994。 |
| アジアクラブ選手権優勝:1999。 |
| Jリーグ優勝:19992002。 |
| AFCアジアカップ優勝:2000。 |
| DFLリーガポカール優勝:2003。 |
| UEFAインタートトカップ優勝:2005。 |
| 韓国FAカップ優勝:2010。 |
個人タイトル
| 1998年-AFCU-19選手権得点王。 |
| 1998年-ナビスコカップ(ニューヒーロー賞)。 |
| 2000年-アジアカップ2000ベストイレブン。 |
| 2002年-Jリーグ最優秀選手賞、得点王、ベストイレブン。 |
| 2007年-アジアカップ2007得点王。 |
執筆書籍
| 2007年-病とフットボール〜エコノミークラス症候群との闘い〜(角川・エス・エス・コミュニケーションズ)ISBN4827550115。 |
関連書籍
| 2002年-高原直泰物語(小学館、佐藤俊)ISBN9784091497512。 |
CM
| サントリー「デカビタC」(2001年)-中田浩二、加茂周との共演。 |
| ソニー「VAIOW」(2002年)。 |
| LIFECARD(2003年-)。 |
関連項目
| 静岡県出身の人物一覧。 |
| サッカー日本代表出場選手。 |
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1979年
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高原 直泰(たかはら なおひろ)は、静岡県三... |
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1994年
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U-16代表としてアジア選手権に出場 |
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投票数
0
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