| 愛校心が強いことで知られるが、卒業した中央大学には本名と同姓同名の「高木友之助」という総長(学長)がおり、この高木総長より「高木友之助様高木友之助より」という手紙を受け取ったことから、両者の間に親交が生まれたことがある『第5の男』p.171(高木友之助総長は、双葉山在籍時の立浪部屋親方・四代目立浪弥右衛門の長男)。 |
| 『全員集合』の冒頭コントで、激しい体技が必要になる場面ではいつの間にか消えてしまうことが多く、それ以外でも体型を生かして笑いを取る場面以外で笑いの中心に居ることは少なかった。 |
| その結果、何もしない、何もできない無能の代名詞として扱われる事も多く、筋肉少女帯から自らの無能ぶりを高木に喩えたシングル『元祖高木ブー伝説』がリリースされて話題となった。 |
| この時事務所側はクレームをつけたものの、高木本人が「若い奴がバカやってるんだから許してあげようよ」と鷹揚な対応を見せた事でリリースが可能となり、更には筋肉少女帯のライブを訪れてセッションを行うなど自ら交流を行った。 |
| これに応え、当時の筋肉少女帯のリーダーであった大槻ケンヂも高木経営のバーでのステージ等に自ら進んでゲスト出演している。 |
| 大槻は、後に徹子の部屋に出演した際、「この曲はとても誤解されている。 |
| 表面的な部分を面白がるだけで終わらない人は、自分が考えていたよりもずっと少なかった」と話すと同時に、実際に接した際の高木の人柄を「芸能界に居るのが勿体無いような素晴らしい人」と絶賛した。 |
| 上記の通り無能なイメージがあったが、ドリフのリーダーであったいかりやは生前、自分の方から高木をやめさせようと思ったことは一度もないと自著『だめだこりゃ』の中で語っていた。 |
| 1995年8月、渋谷公会堂での前半のコントをSIAM SHADEと共演した。 |
| 特技は居眠りで、どんな状況でも眠れる体質。 |
| ドリフターズの駆け出し時代にフジテレビの番組『歌え!一億』のスポンサーとの会議中に大いびきをかきながら居眠りをしてしまい、番組が打ち切りになったことがある。 |
| 後にピックウィック症候群(肥満による重度の睡眠時無呼吸症候群)が原因である事がわかった。 |
| 加藤によると、いかりやの死後、自分が最年長だから現ドリフのリーダーであると宣言しているという。 |
| ただし、いかりやの葬儀の際にメンバーを代表して弔辞を読み上げたのは、いかりやと最も付き合いの長かった加藤であった。 |
| いかりやによれば大学生の頃(本人の著書によると高校生の頃)ボクシングをやっていた。 |
| 日本テレビ系『ダウンタウンDX』で「殴られて鼻血でも出したら、カッコ悪いじゃない。 |
| だからやめた」と証言(「万一指をケガしたらウクレレがひけなくなるから」とコメントしたこともある)。 |
| また同番組では「いかりやから貰った弁当の海老フライをいかりやに取られ逆上した」「『俺の給料を上げろ!』といかりやの元に単身抗議しに行った」と、のんびりとしたイメージとは裏腹のエピソードを語っている。 |
| メンバー全員がクレー射撃の資格を持っていた(加藤は度重なる交通違反の前歴により取消処分を受けている)が、高木のみ趣味として継続している。 |
| これは、フジテレビ『トリビアの泉』でも紹介されている。 |
| 高木いわく「最初に始めたのは長さん(いかりや)で、周りのメンバーも巻き込んでやらせたくせに、メンバーが上達して自分より上手くなると先にやめてしまった」とのこと。 |
| 高木ブーは射撃好きの芸能文化人で結成している『芸能文化人ガンクラブ』の第二代目理事長を、三橋達也から引き継いで務めている。 |
| 現在では故人となった前会長の森繁久彌に代わって会長職も代行している。 |
| また、絵を描くことも好きで、水墨画系のイラストもたしなむ。 |
| 加藤の店がオープンした時、雷様などのイラストを展示していた。 |
| 大好物は焼肉、煎餅、太刀魚で焼き肉は生であっても網の上に並べたそばからすぐ食べる。 |
| じっくり焼いて食べるのが好きだったいかりやはその事に激怒してテーブルの鉄板に顔を押し付けたという伝説がある。 |
| レバ刺しが特に好きで、焼肉店では一度加熱用レバーをレバ刺しと間違えて平らげてしまったほどだが、近年医者から止められている。 |
| なお、嫌いな食べ物はうどんであると語っている。 |
| 東京都港区麻布十番で、バー“Boo'sBarHALONA”を営んでいた(2006年7月をもって閉店)。 |
| 同店内で定期的にミニコンサートを行ったほか、ウクレレ教室も開きニューハロナのギタリスト・青木健と共にウクレレを指導した。 |
| また、NHK教育テレビジョンの『趣味悠々』でもウクレレのレッスン番組を行ったこともある。 |
| なお、愛用のウクレレはダブルネック(4弦+8弦)である。 |
| ドリフの全メンバーの中で、離婚も再婚もせず、また複数の女性と関係を持つこともなく、ただ1人の女性に最後まで変わらない愛情を注ぎ続けたのは高木だけである(妻とは1962年に結婚)。 |
| その最愛の妻を1994年に脳腫瘍で亡くした時の高木の悲嘆は激しく、高木はそれ以来、妻を助けてくれなかった神を一切信じることができなくなったとまで語っている(自伝:『第5の男-どこにでもいる僕-』より)。 |
| 高木は妻を亡くして以来、残された一人娘を他家へ嫁がせることに耐えられず、娘の結婚相手は自分と一緒に住んでくれる男性であることが絶対条件だったという。 |
| 実際、彼は現在も娘夫婦と一緒に暮らしている(『徹子の部屋』に出演した際の告白)。 |
| 新宿区西早稲田には、散歩する高木にあやかった通称「ブー横丁(通り)」が存在する。 |
| 早稲田通りの一本裏の道で、昔から高田馬場駅から早稲田大学西早稲田キャンパスへの通学路として使われてきた。 |
| 他のドリフメンバーと共にホノルルマラソンに出場したことがある。 |
| 列の後ろの方からスタートしたが、スタート地点に達するまでに、わずか2kmでリタイアしてしまった。 |
| 中日ドラゴンズの大ファンで、落合博満が中日に現役在籍時に、特番で落合家に仲本工事と訪問した時も嬉しそうな表情を見せた。 |
| しかし、高木自身は名古屋と縁があるわけではなく、彼が中日ドラゴンズのファンである理由は不明であるが、自身の著書『第5の男』には彼が学生時代に所属していたボクシングジムが中日系列のジムだったことが書かれている。 |
| なお、2010年2月8日発行の中日スポーツの1面に高木とドラゴンズの選手が一緒に映されている写真が掲載され、記事にも中日ファンであることを公言していた。 |
| 過去に「クイズ・ドレミファドン!」「踊る!さんま御殿!!」に娘と一緒に出演したことがある。 |