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プロフィール
- 高木守道とは
- プロ入りまで
- プロ野球選手時代
- 監督・コーチ時代
- 現在
- プレースタイル
- 人物
- 人間関係
- 年度別打撃成績
- 通算監督成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 現在の出演番組
- 関連項目
- 関連サイト
高木守道(たかぎもりみち、1941年7月17日-)は、プロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市出身。現役時代は 中日ドラゴンズで活躍し、引退後はコーチ・監督を歴任した。現在は中部日本放送の解説者。2代目「ミスタードラゴンズ」である。2007年1月より、 中日ドラゴンズOB会会長。
プロ入りまで
| 10歳のとき、中日スタヂアムの火災(1951年8月19日)に巻き込まれたが、危うく事なきを得た2008年12月5日放送の『いつも歓声があった ~ナゴヤ球場の60年~』(NHK名古屋・制作)に出演した際にも当時の思い出を振り返っていた。 |
| 県立岐阜商業高校に進学。 |
| 肩を痛め遊撃手から二塁手に転向。 |
| 1年生の時に長嶋茂雄(当時立教大学4年生、後に巨人)にコーチを受けた |
| 長嶋は高木の才能を見抜き、監督に高木をレギュラーとして使うように薦め、その結果、高木はすぐにレギュラーを取りチームの中核となったという。 |
| 尚、遊撃手だった高木を二塁手に転向させるよう監督に提案したのも長嶋だと言う。 |
| 3年春にはセンバツ大会に出場、決勝まで進み、同じ東海地区から選抜された中京商業(現・中京大中京)に惜敗し、準優勝に終わっているが、この試合は雨天順延で日程がずれ、皇太子殿下(現・今上天皇)の御成婚パレードと日程が重なり、テレビ中継されなかった(テレビ中継が始まってから現在まで春夏通じて、中継が中止されたのは後にも先にもこの大会だけ)。 |
| 春夏連覇を目指した最後の夏は、県予選で惜敗して甲子園を逃している。 |
| 高校3年夏の甲子園大会終了後にプロからの誘いがなかったことから、OBの縁故を頼って高校卒業後は早稲田大学に進学する予定だったが地元球団・中日から急遽オファーが届き入団を決意する。 |
| この経緯から卒業後、県岐商野球部OB会を除名されていた(現在は復帰)。 |
プロ野球選手時代
| 1974年は巨人のV10を阻止して中日の優勝に貢献した。 |
| 優勝決定翌日の10月13日に予定されていた後楽園球場の巨人×中日シーズン最終戦は長嶋茂雄の引退試合であったが、降雨で14日に順延してしまい、この結果中日の優勝パレードと日程が重なった。 |
| このため、大島康徳・藤波行雄などの若手や、引退直前だった広野功を含む準レギュラー級選手のみを出場させ、中日のレギュラー選手は同日の名古屋での優勝セレモニーのために欠場するように球団に言い渡された。 |
| この通達に高木は「偉大なる選手になんて失礼なことを」と大いに憤慨し、球団にその通達の撤回とそれが無理ならばせめて自分だけでも出場させるように抗議した。 |
| しかし、その願いは聞き入れられず、高木は優勝セレモニーで終始ぶ然とした表情をしていたという。 |
| 高木はのちに長嶋に電話し謝罪したという『中日ドラゴンズ70年史』掲載のOB座談会(『月刊Dragons』では星野仙一も同様に電話で謝罪したとの記述があった)。 |
| 対ロッテオリオンズと行われた日本シリーズでは初戦から大活躍。 |
| しかし、第3戦が行われた後楽園球場にて自打球を左足に当て負傷退場。 |
| 検査の結果、骨折しており、1番打者で切り込み隊長の高木が不調に陥った中日はロッテに敗れ日本一を逃した(後楽園球場での第4戦では村田兆治から初回先頭打者本塁打、ポストシーズン戦うドラゴンズで同記録は他に1988年の日本シリーズ第3戦・彦野利勝のみ)。 |
| 二塁手でベストナイン7度は史上最多。 |
| 限りで現役引退。 |
| シーズン終了後にナゴヤ球場で行われたセ・リーグオールスター東西対抗では同年引退した王貞治とともに引退セレモニーが行われた。 |
監督・コーチ時代
| 1978年から1980年まで選手兼任コーチ、1981年からコーチ、ヘッドコーチに就任するが、山内一弘監督の途中休養を受け、同年7月6日からシーズン終了まで代理監督を務めた。 |
| 1987年からCBC野球解説者となるが、星野仙一監督の辞任を受けに初めて監督に就任する。 |
| 初年度は結果的に最下位に沈むも、ペナントレース後半に上位チームに善戦し、最終的に60勝70敗(この年のセントラル・リーグは全球団が60勝台であった)。 |
| 2003年オフには中日の監督候補に名前が挙がったものの落合博満が就任した。 |
| リーグ優勝は現役選手としては巨人のV9時代も重なってか1974年の1度だけだったが、それが巨人のV10を阻んだ優勝であることはよく知られている。 |
| また、コーチとしてもに1度経験しており、通算で2度リーグ優勝を経験しているが、日本シリーズはいずれも2勝4敗で敗れており、日本一はおろか王手をかけた経験すら一度もない。 |
現在
| 1996年からは再びCBC野球解説者・中日新聞野球評論家となる。 |
| 2007年からは中利夫に代わり中日OB会の会長も務める。 |
| 守備の名手ゆえ、他人がファインプレーと認めるものでも「普通の守備、もっと楽に処理できる、○○なら普通のプレー」とよく発言する。 |
| CBCテレビ「サンデードラゴンズ」では中日選手の守備の映像を見て普通のプレーかファインプレーか(その後「惜しい!」の札も登場)を札を上げて決めてもらうコーナー、通称「高木チェック」があるのだが、高木の「普通である」発言が番組の隠れた名物となっている(『自分でできそうだと思うものは、ファインプレーは出さない』と公言している)。 |
| 捕球については特に厳しい判定が下される一方、送球の良さが伴っていたり、機転の利いたプレーに関しては良い判定を出しやすい傾向にある。 |
| ナゴヤドームで野球中継の解説をする日は、中継スタッフ全員分のホットドッグを購入して配っているという。 |
| 2006年に野球殿堂入り。 |
| また、この年の日本シリーズ第1戦で始球式を務めた。 |
プレースタイル
| 北海道遠征(札幌市円山球場)で巨人との試合中、三塁走者だった高木は、俊足を生かしピッチャーゴロで本塁突入を試みるが、そのときの投手だった巨人の関本四十四に三本間で挟まれタッチアウトとなる。 |
| しかし、関本がタッチの際に高木の顔面にグラブを当てたことで高木は激高。 |
| 関本も謝ろうとせず、高木をにらみつけたことで関本に殴りかかり乱闘騒ぎとなった。 |
| 野球誌やテレビ番組などでの「プロ野球歴代ベストナイン」等の企画では、プロ野球史上最高の二塁手として高木が選出されたことがある。 |
人物
| 現役時代は試合ごとに新品のストッキングをおろして履いていた。 |
| 入団3年目、南海から移籍したカールトン半田がキャンプの練習中に披露していたバックトスを見て、練習を重ねながら自分の型にしようと試合で試し始めたある試合で、普通の二塁手なら追いつけないような打球に追い付きはしたものの捕球出来なかったというプレーをした際に当時の杉浦清監督から「何をやっているんだ!」と罵声を浴びせられたことが気に入らず、直後の中日の攻撃中にベンチを抜け出し合宿所に帰ってしまったことがある。 |
| 高木が普段無口でベンチでも目立たなかったため、中日ベンチは再度守備に就くまで誰も高木がいなくなった事に気付かなかったという。 |
| なお、合宿所に戻った高木は首脳陣がミーティングで使用する部屋の押入れに隠れて試合後の首脳陣のミーティングの内容を聞き、高木のことよりも1年先輩の板東英二の悪口の方を多く言っていたのを聞きつけて板東本人のところに直接報告に行ったという。 |
| (板東の著書に記述あり)。 |
人間関係
| 高校の後輩にはシドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子や中日ドラゴンズ外野手の和田一浩がおり、高木と彼らは母校で"ビッグ3"と呼ばれている。 |
| 2004年11月23日、地元の岐阜メモリアルセンターでこの3人のトークショーが行われた。 |
通算監督成績
| 499試合244勝249敗6分勝率.495。 |
| ;※1992年から1996年までは130試合制。 |
タイトル
| 盗塁王:3回(1963年、1965年、1973年)。 |
表彰
| ベストナイン:7回(二塁手1963~1967年、1974年、1977年)。 |
| ダイヤモンドグラブ賞:3回(二塁手1974年、1977年、1979年)。 |
| 日本シリーズ敢闘賞:1回(1974年)。 |
| 野球殿堂入り(競技者表彰:2006年)。 |
記録
| 4打数連続本塁打(1977年6月12日~6月14日)。 |
| 初打席本塁打(1960年5月7日)。 |
| 1試合5盗塁(1964年8月5日)。 |
| オールスターゲーム出場:4回(1966年、1967年、1973年、1979年)。 |
| 通算1000試合出場:1969年7月30日(141人目)。 |
背番号
| 41(1960年-1962年)。 |
| 1(1963年-1982年)。 |
| 67(1983年)。 |
| 71(1984年-1986年)。 |
| 81(1992年-1995年)。 |
現在の出演番組
| サンデードラゴンズ(上記にも述べたとおり、現状のCBCプロ野球解説者を含めても唯一の落合支持派である事から、落合監督になってからは、番組内で放送される落合監督のキャンプ中のインタビューの聞き手を担当)。 |
関連項目
| 岐阜県出身の人物一覧。 |
| 中日ドラゴンズの選手一覧。 |
| おれたちゃドラゴンズ当作品の登場第1号。 |
| 現在もCBCの野球解説者として登場する。 |
| 海賊戦隊ゴーカイジャーこの作品の登場人物であるゴーカイブルーこと、ジョー・ギブケンの人物のモデルは高木守道。 |
| (メインライター・荒川稔久談)また、名前は高木の出身校である岐阜県立岐阜商業高等学校をもじって付けたものである)。 |
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1941年
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高木 守道(たかぎ もりみち)は、プロ野球選... |
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1951年
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10歳のとき、中日スタヂアムの火災に巻き込ま... |
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