| 全国高等学校野球選手権大会において、1試合4犠打の記録を作った(他に2名タイ記録保持)。 |
| 宴会などで酔うと羽目を外したパフォーマンスをすることで知られる。 |
| 2000年の優勝時の祝勝会では床にうつ伏せで寝転んで、お尻を露出しはしゃいだ。 |
| 同年のシーズンオフの納会においては、長嶋監督の目の前で「闘魂こめて」にあわせて箸をタクトのように振った。 |
| 2002年の祝勝会においてもヒョウ柄のTバックを着用してお尻を露出、さらに鼻血を出すに及んだ。 |
| 後日高橋は妻の叱責を受け、やがて迎えた日本シリーズの対戦相手である西武の伊原春樹監督(当時)からは「汚いし、品位がない。 |
| 全国放送で見せるもんじゃない」と痛烈に批判された。 |
| 伊原に批判されたことを知った高橋は「カミさんに言われるのは納得するが、敵の監督に言われると腹が立つ」と発奮。 |
| 日本シリーズ第4戦に先発した高橋は好投し、勝利投手となった。 |
| このようなことから、「宴会部長」の異名を持つが、特にお尻の露出については、“球界の紳士たれ”とする巨人軍の選手にあるまじき行為として一部ファンの批判も強かった。 |
| 結婚など私生活の変化もあってか近年は露骨なパフォーマンスは控えられている。 |
| 前述の伊原は2007年から巨人の野手総合コーチを務め、同年のリーグ優勝目前には高橋の「お尻出し」を容認する発言をしたため、高橋の対応が注目されたが、祝勝会において高橋がお尻を露出する姿は見られず、好事家の失望を買った。 |
| ジャイアンツ時代には同姓の高橋由伸外野手がいる為チーム内では「ヒサノリ」と呼ばれ、略称は「高橋尚」と表記された。 |
| 生年月日はジャイアンツで同僚だった高橋由伸、上原浩治と一日違いである。 |
| 原監督に代走で起用されたことがある。 |
| 2003年5月21日の福岡ドームでのヤクルト戦で、完封ペースで投げていたが、左翼手のクリス・レイサムが2アウトとなるフライ打球処理後に誤ってボールをスタンドに投げ入れてしまい、二塁ランナーのホームインで完封負けを喫したことがある(この場合、野球規則7.05g(1)により、二塁走者には二個の安全進塁権が与えられる)。 |
| 2007年より背番号が「21」に変わった。 |
| 過去巨人ではV9時代の高橋一三、1990年代の宮本和知と、印象に残る左投手が背負っていた。 |
| 2006年までは背番号17番であったが、{{要出典範囲|date=2010年8月|シーズン終了後に原辰徳監督が高橋宅に電話をし「お前は来年から背番号21に変更だ。 |
| なぜなら“左のエース”だからだ」と促されたらしい}}(前任の右投手・木佐貫洋は「41」に変更)。 |
| なおロサンゼルス・エンゼルスに移籍した2011年から再び「21」を着用している。 |
| 私生活では2001年に幼稚園教諭をしていた女性と結婚、妻との間には子があることを公表している。 |
| 2007年6月23日の西武戦で12球団一番乗りの10勝を達成。 |
| 2日前に実父が死去し葬儀にも駆けつけられない中での「涙の勝利」であった。 |
| 10勝一番乗りは、巨人では1999年7月4日の上原浩治以来。 |
| 6月中では1990年6月22日の斎藤雅樹以来の記録になる。 |
| 2008年シーズン終了後の契約更改では、ダウン提示を保留した際「(中継ぎに)勝ち(投手の権利)を消されたのもかなりあった」と発言し、一部ファンから反感を買った。 |
| この年はリリーフに勝ち星を消されたかたちになった試合が4度あったが、リリーフ・野手陣の踏ん張りで負けを消してもらった試合も4度あり、また自身の完投も0回だった。 |
| 日本でのポストシーズン(クライマックシリーズ・日本シリーズ)において、東京ドームで登板した試合(ホームゲーム)は勝ち星が一つもない。 |
| 2009年までで日本シリーズは4回出場(2000年・2002年・2008年・2009年)している。 |
| 2000年の第5戦、2002年の第4戦はビジター球場で白星を挙げたのに対して、ホームゲームでは3度登板(2008年の第2戦・第6戦と2009年の第4戦)して、2敗を喫している。 |
| 2008年の第6戦では西武に逆王手をかけられ日本一を奪われ、2009年は本拠地での胴上げを消滅させた(巨人は日本一になるも胴上げは第6戦の札幌ドームにて披露)。 |
| また、2007年から始まったクライマックスシリーズには、東京ドームで3度登板しているが、0勝1敗である。 |
| 2006年に中日が東京ドームでは開場以来初となるビジターチームの優勝を決定。 |
| 2007年にも同じく日本シリーズ出場権を得た試合で、いずれも敗戦投手となっている。 |