| 1952年東京に生まれる。 |
| 小学校5年生頃にはすでにドラムを叩いていたという。 |
| 立教中学時代、同級生の東郷昌和と「ブッダズ・ナルシィーシィー」というバンドを結成。 |
| 主にパーティー等で活動していた(後に東郷は高橋の兄・信之のプロデュースでフォークグループ「バズ」としてデビューする)。 |
| 高校在学中からスタジオミュージシャンとして活動を開始。 |
| 1969年にフォーク・グループ「ガロ」のバックバンドに加わる。 |
| しかし、『学生街の喫茶店』のヒット以後の歌謡曲路線に合わず、小原礼とともにガロを脱退。 |
| 武蔵野美術大学在学中の1972年、加藤和彦の誘いを受け、脱退した角田ひろ(現:つのだ☆ひろ)の後任として「サディスティック・ミカ・バンド」に加入。 |
| ミカ・バンドは海外(とりわけイギリス)において評価され、アルバム『黒船』は日本のロック史に残る名盤として現在まで語られている。 |
| 1974年にはロキシー・ミュージックの全英ツアーにおいてオープニング・アクトを務めた。 |
| ミカ・バンド解散後、「サディスティックス」を経て、1978年からはソロ活動を開始。 |
| そして同年、細野晴臣、坂本龍一とともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。 |
| 1979年から1980年にかけて2度にわたるワールドツアーを敢行した。 |
| YMOは世界的な大成功を収め、日本のみならず世界の音楽シーンに多大な影響を与えた。 |
| 高橋の作曲としては「ライディーン」が有名(坂本龍一が論理的な作曲法を用いるのに対して、高橋幸宏はこの曲を鼻歌から作っている)。 |
| 結成当初、YMOのメンバーはヴォーカルを取らない(ゲスト・ミュージシャンに任せる)という意向を細野は持っていたが、坂本の推挽で高橋が「中国女」のボーカルを手がけたことにより、ボーカリストとしての才能も発揮。 |
| またファッション・デザインの才も発揮して衣装のデザインも手掛けていた。 |
| 高橋は当時、自身のブランド「Bricks」や「Bricks-MONO」のデザイナーだった。 |
| YMO結成前、当時の坂本龍一のぞんざいな服装を見た高橋が「君はちゃんとした服装をすれば格好よく見えるのに」と服を大量に用意してコーディネートしている。 |
| 1980年には「POPTHEHERO'80s」(ラジオ関東)のパーソナリティを(準レギュラーに当時のマネージャー伊藤洋一と供に)担当。 |
| ソロやYMOの活動の一方で、1981年には鈴木慶一と供に「TheBeatniks(ビートニクス)」を結成し、活動を開始する。 |
| 1983年4月より、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)のパーソナリティを担当。 |
| 同年12月、YMO「散開」(解散)とともに放送終了。 |
| YMO散開以降、ソロ活動を本格化させ、また「ビートニクス」としてもマイペースに活動。 |
| 1989年には「サディスティック・ミカ・バンド」が桐島かれんを迎えて一時再結成。 |
| 1992年3月には山本耀司、高橋信之、田中信一と共に、「AGENTCON-SIPIO」を設立。 |
| 翌1993年には録音スタジオ「CONSIPIOSTUDIO」とレコードレーベル「CONSIPIORECORDS」を発足。 |
| 97年には自らも「CONSIPIORECORDS」に移籍したが、現在は休眠状態である。 |
| 1993年にはYMO「再生」(再結成)。 |
| アルバムを発表し、東京ドームにてコンサートを行う。 |
| 2002年からは細野晴臣と共にYMO以来のユニット「スケッチ・ショウ」を結成、活動を開始する。 |
| 2004年にはスケッチ・ショウ+坂本龍一のユニット「ヒューマン・オーディオ・スポンジ(HAS)」として、エレクトロニカイベント「sonar」に出演。 |
| 2005年には再び東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)と契約。 |
| 翌2006年3月に7年ぶりのソロアルバム「BLUEMOONBLUE」をリリース。 |
| スケッチ・ショウで実践したエレクトロニカの手法を通過させた新機軸のポップ路線を展開した。 |
| アルバム発表後は高野寛、高田漣、権藤知彦を主要メンバーに迎え、ライブハウスからロックフェスまで、各地でライブを精力的にこなした。 |
| 10月には恵比寿ガーデンホールで開催された「SONAR」への出演を交えながら、新宿ICC、仙台メディアテーク、東京都現代美術館の3箇所で「ミュージアムツアー」と称したライブを行い、インプロヴィゼーション中心のクオリティの高い演奏を披露、新たなる次への展開をうかがわせた。 |
| また2006年、キリンラガービールのテレビCMとの連動企画で「サディスティック・ミカ・バンド」が木村カエラをボーカルに迎えて二度目の再結成。 |
| 10月にはアルバムをリリースした。 |
| 同じく2007年には同CMの企画でYMOがこれも二度目の再結成。 |
| CMでは「ライディーン」のセルフカバー版「RYDEEN79/07」を披露し、同時にネット配信を開始。 |
| 5月にはチャリティ団体「SmileTogetherProject」主催のライヴに(HASとして)出演、また7月には「ライヴ・アース」に出演。 |
| 2008年、新バンドpupaを、原田知世、高野寛、高田漣、権藤知彦、堀江博久と共に結成。 |
| 同年7月2日にアルバム「floatingpupa」リリースした。 |
| 2009年3月11日にはオリジナル・アルバムとしては22作目となるニュー・アルバム「PageByPage」がリリース。 |
| 小山田圭吾をサポートに迎え同年6月6日には3年ぶりのソロ・ライヴ、7月には自ら「念願だった」というフジロック・フェスティバルに出演、10月にはフェス形式のライブハウス公演に登壇するなど単発的ながら充実のライブ活動を展開した。 |
| 2010年、pupaの2ndアルバムをリリース。 |