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プロフィール
- 高橋建とは
- プロ入り前
- NPB時代
- MLB時代
- 広島復帰
- 人物
- 不可解な退場事件
- 年度別投手成績
- 記録
- 背番号
- 出演
- 関連項目
高橋建(たかはしけん、1969年4月16日-)は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。
プロ入り前
| 横浜高校から東都の拓殖大学へ進学、大学時代は東都大学リーグ2部において野手として通算17本塁打を放つが4年から投手として頭角を現す。 |
| その後トヨタ自動車では主に左の中継ぎとして活躍。 |
| その後1994年のドラフト4位で広島東洋カープに入団。 |
NPB時代
| 最速150km/h(1999/7/14)の直球と多彩な変化球が武器。 |
| 1996年7月28日にはウエスタン・リーグでノーヒットノーランを達成。 |
| その後左の先発不足もあって貴重な左腕として一軍登板の機会が多くなる。 |
| 入団当初から足を高く振り上げる独特の投球フォームが彼の特徴で、三振もとれる速球派でもあったが、制球力に難があったため、から足をあまり高く上げない通常の投球フォームに変えた。 |
| この年は5勝9敗と負け越したものの自己最多となる50試合に登板し、終盤は抑えとして前年大活躍した小林幹英の不調の穴を見事に埋める活躍を見せた。 |
| 11月10日に、メジャーリーグへの移籍を視野に入れ、FA権を行使。 |
| ピーター・グリーンバーグが代表取締役を務めるPEG社と業務提携しているGSEグループの中西剛を代理人とし、2月2日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。 |
MLB時代
| 招待選手として春季キャンプに参加したが、ビザ取得に追われて充分な練習期間に恵まれぬまま3月1日のオープン戦に初登板。 |
| その2イニング目でのスクイズの打球処理の際に、以前にも痛めた右ふくらはぎを痛めた{{Citenews。 |
| その後マイナーで調整したが、3月30日にブルージェイズから解雇される。 |
| 同日にニューヨーク・メッツとマイナー契約。 |
| その後傘下AAA級バッファローで6試合に登板、11回2/3を投げて防御率0.77を記録。 |
| 4月26日、メジャーに初昇格。 |
| 5月2日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で2番手としてメジャー初登板。 |
| 40歳でのメジャーデビューは第二次世界大戦以降ではサチェル・ペイジの42歳、ディオメデス・オリーボの41歳に次いで史上3位の高齢記録となった。 |
| 6月22日、マイナーの3Aバッファローに降格。 |
| 8月24日、メジャーに再昇格するものの、10月20日、メッツから契約を解除された。 |
広島復帰
| 引退試合となった2010年9月29日の対横浜戦(マツダスタジアム)では、長女と二女をバッテリーに高橋自身が打者を務める始球式を行った{{Citenews。 |
| 2011年からは中国放送(RCC)とデイリースポーツ新聞広島支社で野球解説者を務める。 |
人物
| 前述の通り大学時代は外野手だったということもあり打撃も得意としている。 |
| 2003年3月29日開幕カードの対ヤクルトスワローズ2回戦では自ら均衡を破るタイムリー三塁打を放っている。 |
| また二軍での通算打率は3割を超えており、一軍戦では通算3本塁打を放っている。 |
| なお、プロ初本塁打は、7年目の2001年4月8日に斎藤雅樹から放った。 |
| 広島投手では1999年の広池浩司以来の本塁打であった2002ベースボール・レコード・ブック。 |
| 投手転向は大学4年時とあるが、小学校・中学校での軟式野球では投手であった。 |
| トヨタ自動車入社後は投手として日本代表に入り、社会人2年目の1993年のドラフト会議では8球団からオファーを受け、1・2位候補として名前が挙がったが会社の慰留によって残留した。 |
| 翌年はチームの不振から評価が下がり、「上位指名できない」との連絡を次々に受けて本人も「プロ入りできないと覚悟した時期もあった」が、1994年11月13日に広島から獲得の意向を伝えられ、「順位も金額も関係ない。 |
| 素直にうれしかった」とプロ入りを決断した中国新聞「赤ヘルルーキー高橋建」。 |
| 涙もろく、投手として結果が出せずに降板した時に涙ぐんでいるシーンがよくあった。 |
| また後述の退場事件の時には、その週のTBSのサンデーモーニングでこの事を取り上げられた時に張本勲が、「高橋ほど気の優しい男はいない。 |
| こんな事をするわけがない」と温厚な性格である事を訴えた。 |
| 巨人相手に2000年9月(東京ドーム)に通算100号のサヨナラ本塁打、2002年6月(札幌ドーム)に球団通算7500号本塁打を喫している。 |
| またどちらも対戦打者は奇しくも高橋由伸である。 |
| 中日との相性が良く、ナゴヤドームでは良い投球をする。 |
| 一方、阪神には弱く、10年目の2004年シーズンまでは甲子園で勝ったことがなかった。 |
不可解な退場事件
| 2003年6月5日、高橋は対巨人10回戦に先発した。 |
| それまで2失点に抑えていた8回表、突如乱調に陥り江藤智に3ランを浴びて交代を告げられた。 |
| このとき高橋はボールをボールボーイに返球しただけとしているが、後ろ向きに立っていた球審谷博のいる方向へ速い球を投げたというのが審判の判断であった。 |
| 谷が状況を見ていた三塁塁審の吉本文弘に確認したところ、吉本は「高橋が谷球審に向かって投げた」と報告したため、谷は侮辱行為として高橋に退場を宣告した。 |
| これに監督の山本浩二が抗議したが退場宣告は覆らなかった。 |
| 8回裏、奮起した広島打線が爆発し逆転に成功する。 |
| 直後の9回表、阿部慎之助の右翼前安打を処理した木村拓也が三塁へ好返球、三塁手新井貴浩が捕球し、一塁走者・斉藤宜之へのタッグプレイとなったが、三塁塁審吉本はセーフと判定した(ただし、このとき斉藤は新井のグラブの上をスライディングしており、グラブにスパイクの傷も付いていたとされる)。 |
| 新井は激高し、吉本三塁塁審の胸を突いた為退場となった。 |
| この件で、広島ファンのみならず、選手会のホームページにも審判陣に対する批判のメールが寄せられた。 |
| 6月11日、選手会が高橋・新井両選手への退場処分に関する抗議文書をコミッショナー及びセ・パ両連盟会長宛に提出。 |
| 退場処分は覆らなかったが、コミッショナー及びセ・パ両連盟は谷球審の言い分を却下。 |
| また審判への公式な処分はなかったが、吉本塁審はこのあと規定日数いっぱいの二軍落ちをしている。 |
記録
| ;初記録(投手記録)。 |
| 初登板:1995年4月8日、対横浜ベイスターズ2回戦(広島市民球場)、6回表に救援登板、1回2/3を2安打無失点。 |
| 初奪三振:同上、7回表に佐伯貴弘から。 |
| 初先発:1995年4月16日、対ヤクルトスワローズ3回戦(広島市民球場)、4回4安打4失点で敗戦投手。 |
| 初勝利:1995年4月20日、対中日ドラゴンズ3回戦(長良川球場)、2回表に救援登板、6回無失点。 |
| 初セーブ:1996年9月29日、対横浜ベイスターズ25回戦(広島市民球場)。 |
| 初先発勝利:1996年10月6日、対横浜ベイスターズ26回戦(広島市民球場)、5回2/3を3失点。 |
| 初完投勝利・初完封勝利:1999年8月1日、対読売ジャイアンツ18回戦(広島市民球場)。 |
| 初ホールド:2006年4月19日、対横浜ベイスターズ2回戦(広島市民球場)。 |
| 1000投球回:2003年8月20日、対ヤクルトスワローズ20回戦(広島市民球場)、1回表にアレックス・ラミレスで2アウト目を三塁ゴロに打ち取り達成 ※史上293人目。 |
| 1000奪三振:2008年5月9日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、2回裏に村中恭兵から ※史上121人目。 |
| ;初記録(打撃記録)。 |
| 初安打:1996年6月14日、対中日ドラゴンズ10回戦(広島市民球場)、2回裏に山本昌から右前安打。 |
| 初打点:1999年9月29日、対阪神タイガース25回戦(広島市民球場)、1回裏にカート・ミラーから一塁適時内野安打。 |
| 初本塁打:2001年4月8日、対読売ジャイアンツ3回戦(広島市民球場)、3回裏に斎藤雅樹から右越ソロ。 |
| オールスターゲーム出場:3回(2000年、2001年、2003年)。 |
背番号
| 22(1995年-2008年、2010年)。 |
| 36(2009年)。 |
出演
| BANGBANGBASEBALL(TBS系列、RCCテレビでは「カープナイター」名義)。 |
| MLBスタジアム(BS-TBS)。 |
| RCCカープナイター(RCCラジオ)。 |
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1969年
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高橋 建(たかはし けん)は、神奈川県横浜市... |
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1994年
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広島から獲得の意向を伝えられ、「順位も金額... |
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投票数
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つながりの強いひと
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前田健太
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。大阪府泉北郡出身。マネジメント契約先はスポーツビズ。愛称はマエケン。 |
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宮崎県北諸県郡高崎町(現:都城市)出身の元プロ野球選手(投手)。妻は元フジテレビアナウンサーの福元英恵。 |
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横山竜士
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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高橋健
高橋健 プロフィール ブログ なう ピグの部屋 ペタをつける アメンバーになる メッセージを送る プレゼントを贈る プロフィール ニックネー... |
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嶋重宣
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。北海道札幌市生まれ、埼玉県上福岡市(現:ふじみ野市)出身。ポジションは投手(1995~1999)→内野手(20... |
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長谷川昌幸
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木村拓也
宮崎県宮崎郡田野町(現・宮崎市)出身の元プロ野球選手(内野手)。愛称はキムタク。現役時代はユーティリティープレイヤーとして活躍。引退後は読売ジャイ... |
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広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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大阪府出身の広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。旧姓野林(のばやし)。 |
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高橋建さんについてのひとこと紹介
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