| 広島においては数少ない、全国区の知名度を持った選手であった。 |
| 小説家・村上龍が高橋をモデルに書いた『走れ!タカハシ』はベストセラーとなり後年、大森一樹監督によって映画化されたときにはすでに高橋が現役を引退していたため、人物をイチローに変更し『走れ!イチロー』として制作された。 |
| 、また自身の発売した『君の声がきこえる』『うわさのセクシークイーン』などのレコードは、5万枚の売り上げ記録している。 |
| 人なつっこく明るい性格で、交友範囲が広かった。 |
| 秋野暢子が高橋を弟のように可愛がっていた(ただし秋野と高橋は同学年)。 |
| またビートたけしや浜田省吾など、仕事で広島に訪れる有名人を「今日飲みましょう」と誘い、広島の歓楽街・流川で飲み歩く姿が度々目撃されていた。 |
| ビートたけしと島田洋七が漫才ブームで儲けて、憧れの"銀座で飲む!"と初めて銀座に繰り出したが、どこの店に入ったらいいか分からないので、高橋に紹介してもらった店に行ったという(『俺の彼がばいばあちゃんスペシャル劇場』島田洋七、徳間書店、2007年9月)。 |
| 昼は真っ赤なポルシェを乗り回し、遊び人としても有名で、叶和貴子など芸能人との噂も多かった。 |
| そのため「夜も盗塁王」などと揶揄されたこともある。 |
| また大の電話魔で、常に10円玉を大量に携帯し(まだテレホンカードもなかった時代のため)、そのためポケットにしょっちゅう穴が空いていたという。 |
| 板東英二の著書では、広島で1年間ヘッドコーチをしたドン・ブレイザーの娘に電話攻勢をかけたり、ハワイ・キャンプの間に電話代を200万円使ったこともあると記されている。 |
| しかし、2007年12月16日のRKBラジオ「池田親興のまんてんサンデー」に出演した際、番組内でこれが間違っていると指摘した。 |
| まず広島がハワイでキャンプをしていないことを挙げ、200万も否定。 |
| ハワイではなくフロリダ(当時の教育リーグにて)から、シンディではなく日本人の女の子に電話したとのことである。 |
| その一方で、上記のスイッチヒッター転向のエピソードにもうかがえるように「練習の虫」と名づけられるほどの努力家でもあった。 |
| 足を故障したときも、バッターボックスに椅子を置き、それに座ってフリーバッティングをしていた、付き合っている女性のマンションにバットを持ち込んで夜中に素振りを繰り返していた、など、枚挙に暇がない。 |
| 一言居士な気質で、若手の頃から首脳陣や先輩にも臆することしなく堂々と意見をぶつけていた。 |
| 後年現役時代を振り返り、「自分は減らず口ばかり叩いてきたから、ベテランになれば出されるのは覚悟していた」と語っている。 |
| また、当時の大下剛史守備走塁コーチから一方的な誤解による鉄拳制裁を受けて(1983年ごろ)大下との関係が悪化し、それが1989年オフのロッテ移籍の要因のひとつになったとも言われている(高橋本人は否定)。 |
| この影響かどうかは不明だが、KBC解説者時代も、テレビ朝日系列全国中継への出演はなかった当時キー局・テレビ朝日の解説者に大下がいた。 |
| 但し、タレントとしてはテレビ朝日制作番組への出演はあった後任の西村龍次はテレビ朝日にも出演している。 |
| 江夏から若い時の自分に性格が似ていると言われたことがあり、「生意気で目上の人にも臆さずものを言うから(トレードに)出されたけど、なんでもハイハイ言うてる性格ならお互いプロでここまで活躍できてないのじゃないか」と言われたときはなるほどと納得したという。 |
| 阪神在籍時代の1992年3月28日、藤井寺球場の近鉄バファローズとのオープン戦で、始球式で山田雅人にボールをぶつけられてしまう(この年で高橋は引退した)。 |
| また同年5月に発表された前年の高額納税者リスト(長者番付)のプロ野球選手部門で上位にランク入りしたが、これは、広島で所有していた不動産をロッテ移籍によって売却して得られた収入の納税によるものが多かったためである(時あたかもバブル期であった)。 |
| 1995年9月16日の対日本ハム戦で死球に激怒し捕手の坊西浩嗣に殴りかかったロブ・デューシーへ向かって飛び蹴りをしたことがある。 |
| また2007年7月17日のロッテ対オリックス戦でオリックスのタフィ・ローズが里崎智也に暴行を加え乱闘になった際、オリックス打撃コーチのジョン・ディーバスと激しくやり合い、退場処分を受けている。 |
| 従兄弟として、俳優で歌手の高橋良明と歌手・高橋知秀の兄弟がいる。 |
| しかしながら、高橋良明はバイク事故のために16歳で死亡、また高橋知秀も後年の交通事故によって芸能活動から退いている。 |