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プロフィール
- 高田文夫とは
- 生い立ち
- 放送作家
- タレント・落語家
- ビートたけしとの関係
- 笑芸プロデューサー
- 「バウバウ」
- 著書
- CD(自身)
- CD(作詞・プロデュース)
- テレビ出演番組
- ラジオ出演番組
- CM
高田文夫(たかだふみお、1948年6月25日-)は、日本の放送作家、タレント、演芸評論家。本名は高田文雄。愛称は「高田ギョロメ文夫」「 高田先生」。
生い立ち
| 東京都渋谷区生まれ、世田谷区船橋育ち。 |
| 父が歴史書関係の出版社国文社の経営者で、丹羽文雄と仲が良かったことから「文雄」という名前を付けられた『だから私は笑わせる』。 |
| 父方の親戚に出版社の経営者が多く、そのうちの一人に、雑誌『映画評論』発行人高田俊郎がおり、高田の芸能好きは彼の影響が大きいという佐藤忠男、岸川真編著「『映画評論』の時代」(カタログハウス)P.146。 |
| また、母方は代々、渋谷で鳶の頭をつとめていた浜美雪による高田へのインタビューをまとめた記事より。 |
| ただしこのインタビューでは「父方は『スクリーン』や『キネマ旬報』を発行」とあるが、前掲書「『映画評論』の時代」によると誤りである。 |
| 小学校時代に『おとなの漫画』に強い影響を受け、青島幸男のような放送作家を志す。 |
| 日本学園高校を経て、日本大学藝術学部放送学科に入学し、落語研究会に所属。 |
| 同期に古今亭右朝が、後輩に森田芳光がいる。 |
| 立川談志に心酔し、彼の著書『現代落語論』がバイブルで、「落語の才能が無い」と森田を辞めさせている『だから私は笑わせる』。 |
| 中学高校ではエルヴィス・プレスリー、ビートルズの洗礼を受けたロック少年でもあり、高校時代はボーカルとして「高田バンド」を結成して、フジテレビの番組「勝ち抜きエレキ合戦」にも出演した。 |
| なお、当時から既に、ライブでは曲の合間に漫談やコントを入れていた。 |
| 高校3年生の時に、来日したビートルズの武道館公演を見るが、「演奏テクニックがたいしたことがない」と熱が冷め、以降は演芸少年に変わる浜美雪による高田へのインタビューをまとめた記事より。 |
放送作家
| 大学卒業後は放送作家の塚田茂に弟子入り(のちに破門)し、「スタッフ東京」設立に参加。 |
| 1973年、「ひらけ!ポンキッキ」で放送作家デビュー。 |
| その後「時間だョ!アイドル登場」(日本テレビ)、「ロッテ歌のアルバム」、「笑ってポン!」(以上、TBS)「スターどっきり(秘)報告」、「夜のヒットスタジオ」、「オレたちひょうきん族」、「らくごin六本木」(以上、フジテレビ)、「笑アップ歌謡大作戦」(テレビ朝日)、「三波伸介の凸凹大学校」(テレビ東京)、「ビートたけしのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)、フジテレビの正月の名物番組「初詣!爆笑ヒットパレード」など数多くのバラエティ番組を手がける。 |
| スターどっきり、凸凹大学校などの番組テーマ曲の作詞も手がけた。 |
| 著書の『江戸前で笑いたい』やテレビ史の番組のインタビューでは、構成を担当していた『ひょうきん族』の裏番組であった『8時だョ!全員集合』への対抗心からいかりや長介の傲慢ぶりを批判したり、ドリフはアドリブがなく自分が考える笑いとは違う等述べていた。 |
| 2009年より、日大芸術学部時代からの友人で放送作家の松岡孝に頼まれ、放送作家養成セミナーの講師を務めている。 |
タレント・落語家
| また、自身タレントとしても活躍。 |
| NHKの子供番組「600こちら情報部」では戸田恵子らとともにレポーター。 |
| 「THEMANZAI」では景山民夫景山民夫とは一時期「第二次放送作家ブーム」と自称して共に活動していたが、景山が幸福の科学に入信した後は一切関係を絶った。 |
| 幸福の科学が矢面に立った際、真っ向からこれを批判していた。 |
| と組み「民夫くんと文夫くん」として漫才も披露した。 |
| 立川談志の落語立川流Bコースに入門、立川藤志楼たてかわとうしろう。 |
| 「とうしろう」は、業界用語の「トーシロー」=しろうとの意味を名乗り、1988年には真打ちに昇進した。 |
| その後しばらく休業状態であったが、2006年4月中旬、約10年ぶりに高座に上がった。 |
| 真打昇進後から1990年代前半にかけて精力的に高座を務め、多くがCD化された。 |
| また、2008年からは新音源によるCDシリーズも発表されている。 |
| 2006年にワザオギからCDが発売された際、新宿・紀伊国屋書店2階のミュージックテイトでは、発売直後の週間売り上げ枚数が「宇多田ヒカル」を抜いた、と発表された宇多田ヒカルがちょうど新盤の発表前であったことや、この店が落語・お笑い関係のCDやカセットテープに力を入れているちなみに、この店のランキングでは『コサキン DE ワォ』から出たCDも首位になったことがある。 |
| ためともいわれる。 |
| 学生時代に青島幸男か永六輔に弟子入りしようとした。 |
| 永六輔には弟子入りを志願する手紙を送るが、「僕は弟子を取りません。 |
| 友達になりましょう」との返信が来て断念している。 |
| なお、高田が放送作家になり、永に対面した際にこの件を話したところ「今からでも遅くありません。 |
| 弟子になりませんか?」との手紙が後日届いた(高田は「やなこったい」と断っている)オレはお前に強いんだ毎日新聞社。 |
| 最終的に芸人にならなかった理由として、「売れて無くても芸が下手でも、年功序列で○○兄さん」とヨイショしなければならないことが苦痛に感じるからとしている。 |
| しかし、落語立川流に入門し、後に立川藤志楼として芸人になれた。 |
| また、ビートたけしの著書(何?)では、「日本一の観客」と賛辞されている。 |
| 余芸の範囲ではあるが、東京ボーイズに加わって舞台に立つこともある(その場合、「ニュー東京ボーイズ」となる)。 |
ビートたけしとの関係
| テレビ番組の構成作家をしていた昭和50年頃、ポール牧、青空球児・好児らの薦めにより対面、意気投合し親密に。 |
| 後押しして番組に起用するようになる。 |
| その結果として、以前にたけしのブレインだった、高信太郎の座を奪った。 |
| またニッポン放送では「ビートたけしのオールナイトニッポン」の構成として参加するが、たけしの喋りに声を出して反応し、たけしが番組を休んだ時には代打パーソナリティーとして番組を担当したこともあった。 |
| ゲスト出演した松任谷由実に「高田さん、ウケ役なんだ(ね)」と言われ、たけしの気持ちを見透かした角川春樹には「うるさい」と言う様なことを言われる。 |
| 1983年には景山民夫と「文夫くんと民夫くん」に出演。 |
| さらに1987年10月には夕方のワイド番組「巨匠・高田文夫のラジオでいこう!」を担当する。 |
| 「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は1989年にスタートし、現在も続く長寿番組。 |
| この番組で春風亭昇太、松村邦洋らがブレイクした。 |
| また、ビートたけしと担当したフジテレビの深夜番組「北野ファンクラブ」でも司会を務めた。 |
| 笑芸人編集長もつとめる。 |
| 上記で記述の通り、2006年4月に新宿末廣亭中席で10日間高座にあがったが、その後過労と風邪による体調不良のため、同年4月24日から「ラジオビバリー昼ズ」への出演を休止。 |
| 7月3日から2ヶ月ぶりに復帰した。 |
笑芸プロデューサー
| 1992年、高田が気に入った東京の若手お笑い芸人を集め「関東高田組」を旗揚げ。 |
| 高田が司会をつとめるテレビ番組「たまにはキンゴロー」にメンバーが出演。 |
| また、各地でライブも実施して人気を博し、ビデオも発売され。 |
| メンバーは、春風亭昇太、春風亭勢朝、桂竹丸、「立川ボーイズ」(立川志らく+立川談春)、浅草キッド、松村邦洋、相馬ひろみ(現ベン村さ来夫人)、大川興業、松本明子、早坂好恵であった。 |
| それ以降も、昭和のいる・こいる、桂雀三郎など、地味だが、妙に面白い寄席芸人などを発掘して、推薦したりプロデュースしてブレイクさせており、その手腕は当時の旧石器捏造事件で盛んに聞かれた言葉にちなみ「ゴッドハンド」と呼ばれている。 |
| また、著作活動も盛んに行うようになり、自身が面白いと思った芸人を著書内で紹介。 |
| また、1999年から2005年まで白夜書房から雑誌「笑芸人」を編集長として刊行。 |
| 「東京のお笑い」にこだわり、お笑い史の研究や、旬の芸人の紹介などを行っている。 |
| 近年は、ライブ「我らの高田“笑”学校」をプロデュースしている。 |
「バウバウ」
| 松村邦洋のギャグ「バウバウ」は、もともと高田のものまねである。 |
| 初登場は第8回ビートたけしのお笑いウルトラクイズの「冷凍室ダジャレ→ものまね合戦」である。 |
| 松村が「北野ファンクラブ」のものまねをした際、十八番のたけしのものまねに続けて間髪いれずに「バッバッ!(うまいうまい!)高田文夫です!バッバッ!バアッバッバッ」と演じた。 |
| 続けて「片岡鶴太郎の」「ジミー大西の」「中松義郎の」と披露していずれも高田で締めくくり、とうとうゲームはそのまま終了してしまった。 |
| シンプルな割に強烈なインパクトが根付き会場は大ウケ、以来松村邦洋の持ちネタとなった(総集編で「番組(お笑いウルトラクイズ)から生まれたギャグ」と明言している)。 |
著書
| ビートたけし&高田ギョロ目文夫のしまいにゃ笑うぞ!ビートたけし,高田文夫スコラ,1983.4。 |
| 高田文夫のコントもかけば恥もかくTVとギャグと人のうわさ話がいっぱい!日本文芸社,1984.9(文庫化にあたり、『だから私は笑わせる』と改題)。 |
| 民夫くんと文夫くんのオレたち天才!めちゃぶつけ景山民夫高田文夫ニッポン放送出版1984.10文庫化にあたり、『民夫くんと文夫くんあのころ君はバカだった』に改題。 |
| アタシをとるか、ギャグとるか!?お笑いスター、妻たちの大逆襲日本文芸社,1986.12。 |
| ビートたけしの幸か不幸かオールナイトニッポン&高田文夫ニッポン放送出版,1987.2。 |
| ビートたけしの不幸中の幸いオールナイトニッポン&高田文夫ニッポン放送出版,1987.2。 |
| ビートたけしのここに幸あり―カセット版ベスト・オブ・オールナイトニッポン高田文夫&オールナイトニッポン扶桑社1988.3。 |
| ビートたけしの全面幸福オールナイトニッポン&高田文夫編ニッポン放送出版,1988.5。 |
| ビートたけしの幸せ丸十年オールナイトニッポン&高田文夫ニッポン放送出版,1990.11。 |
| 北野ファンクラブ 北野武監修 高田文夫編著 フジテレビ出版1992.5。 |
| 楽屋の王様笑って済ます噂噺大事典高田文夫,高橋春男講談社,1992.7。 |
| 寄せ鍋人物図鑑高田文夫文ナンシー関消しゴム版画講談社,1993.4。 |
| コミックソングレコード大全爆笑音盤蒐集天国高田文夫監修鈴木啓之,吉田明裕編白夜書房,2002.3。 |
| ありがとう笑名人第1巻(三木のり平・由利徹・笑福亭松鶴・東八郎・古今亭志ん朝)高田文夫,笑芸人編著白夜書房,2003.6。 |
| 笑現の自由笑いの星座からやってきた男たちTokyo芸人気質橘蓮二写真高田文夫監修白夜書房,2003.10。 |
| 寄席・芸人・四季橘蓮二写真集愛蔵版橘蓮二 |
| ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!兵庫慎司、オフィス北野、高田文夫事務所、太田プロダクション太田出版2008.1。 |
CD(自身)
| 「有楽町でまた逢いましょう」(ニッポン放送有楽町移転記念)2004年5月27日発売。 |
| 文乃と文夫名義2011年6月1日発売。 |
テレビ出演番組
| 600こちら情報部(NHK)。 |
| 北野ファンクラブ(フジテレビ)。 |
| たけし・逸見の平成教育委員会(フジテレビ)。 |
ラジオ出演番組
| 高田文夫のラジオビバリー昼ズ(月-金:11:30-13:00)(ニッポン放送)。 |
CM
| ヤマダイ『ニュータッチ』テレビCMではやかんに高田の顔がCGとして映っている。 |
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1948年
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高田 文夫(たかだ ふみお)は、日本の放送作... |
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1973年
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「ひらけ!ポンキッキ」で放送作家デビュー |
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