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プロフィール
- 高田繁とは
- 経歴
- 現役時代
- 引退後
- ヤクルト監督
- 退任後
- プレースタイル
- 人物
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 解説者としての出演番組
- 関連項目
高田繁(たかだしげる、1945年7月24日-)は、大阪府大阪市住之江区出身の元プロ野球選手・監督。鹿児島県生まれ。身長173cm、体重70kg。俊足・強肩・強打の外野手として、読売ジャイアンツV9時代に活躍した。その後、コンバートされた内野手の1年目でダイヤモンドグラブ賞を獲得して、史上初の外野手・内野手両方で受賞を遂げている。引退後は日本ハムファイターズ監督、巨人コーチ、二軍監督を歴任し、2005年度から2007年度まで日本ハムのゼネラルマネージャー(GM)。2008年度から2010年度途中まで東京ヤクルトスワローズ監督。
経歴
| 1968年3月、明治大学農学部農業経済学科卒業、農学士号取得。 |
現役時代
| 1967年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。 |
| 背番号8巨人でこの背番号は、高田から続く三人が連続して新人王を獲得している。 |
| 因みに二人目は、高田が現役引退した翌1981年入団の原辰徳で、そして三人目は原が引退した翌1996年入団の仁志敏久である。 |
| 余談だが、この背番号から新人王が出た年に巨人はリーグ優勝を達成している(高田と原のときは日本一も達成)。 |
| 、1年目から左翼手のレギュラーに定着し、打率3割・20盗塁をマークし新人王を獲得、以後、走攻守と三拍子揃った外野手としてV9時代の巨人を支えた。 |
| 正月返上の猛特訓で三塁守備をものにし、、内野でもレギュラーとして定着。 |
| ダイヤモンドグラブ賞を外野手に続いて獲得した。 |
| 後にロッテの西村徳文も内野手→外野手で受賞するが、外野手→内野手の順での受賞は現在も高田が唯一。 |
| その後、中畑清の台頭や長嶋の監督解任に伴い、に自身初のリーグ最多犠打を記録しながら、35歳の若さで現役引退。 |
| 引退セレモニーは1980年オフの巨人ファン感謝デーにて王貞治と共に行った。 |
引退後
| 引退後、までNHK野球解説者。 |
| まで日本ハムファイターズの監督を務めた。 |
| 初年度は総得点が総失点を上回った歴代のチームの中では史上最低の勝率(.449)を記録したこともあったが、からの2年間でAクラスを確保した。 |
| 勝率は負け越しており、ずば抜けた実績は残していないが、恵まれていないチーム戦力で、この間、後の“ミスターファイターズ”田中幸雄を見い出し、レギュラーに育て上げている。 |
| また津野浩や西崎幸広、松浦宏明など1990年前後のファイターズを支えた主力投手が台頭したのもこの時期である。 |
| 退任後は再びNHKの野球解説者を務めた後、に巨人ヘッドコーチ就任。 |
| しかし、藤田元司の監督退任に伴い1年で退団。 |
| まで日本テレビ解説者。 |
| のペナント優勝に貢献)。 |
| までアール・エフ・ラジオ日本野球解説者。 |
ヤクルト監督
| 2007年-2008年シーズンオフに神宮球場が拡張工事されたことで、3億と高年俸に加え守備に難のある主砲アレックス・ラミレスを放出。 |
| 高田率いるヤクルトは機動力を重視し、スモールベースボールを掲げた(球場の特性や主軸の流出からスモールボールに切り替えるパターンは、日本ハムのパターンと似ている)。 |
| かつてGMだった日本ハムから川島慶三、押本健彦、橋本義隆、萩原淳が移籍。 |
| 韓国からは林昌勇、ダニエル・リオスをそれぞれ獲得するなど積極的な補強・選手の入れ替えを行った。 |
| また俊足の福地寿樹、巨人を戦力外通告された斉藤宜之を獲得した。 |
| 2008年シーズンは福地がリードオフマンとして活躍。 |
| またチーム事情で三塁手だった飯原誉士が本職の左翼手に収まり躍進。 |
| 空いた三塁にはチームリーダーで名手の宮本慎也がコンバートされ、遊撃には宮本の後継者として期待する川島慶三が積極的に試用された。 |
| 一塁には中盤以降ファームの主砲畠山和洋が起用され結果を残した。 |
| 福地が42盗塁を記録、盗塁王を獲得したのをはじめ、飯原誉士、青木宣親、川島慶三などの選手が積極的に盗塁することでチーム盗塁数が12球団最多の148を記録。 |
| 投手陣は前年の勝ち頭セス・グライシンガーが退団、巨人へ移籍。 |
| 獲得した外国人選手も林昌勇を除き活躍しなかったが、前年壊滅状態だった投手スタッフが積極的なメンバー入れ替え、村中恭兵、押本健彦、松岡健一など若手の台頭で整備されたことでチーム防御率も3点台に回復、最下位を脱出し5位となったが、中継ぎ左腕不在に泣いた。 |
| この盗塁、ヒットエンドラン、バントなどを積極的に多用し、終盤まで中日ドラゴンズ・広島東洋カープとクライマックスシリーズ進出争いをしていたが、終盤に大型連敗したことで最終的に5位となった。 |
退任後
| 2010年10月24日、TBSテレビの報道・情報番組サンデーモーニングの「御意見番スポーツ」コーナーに、大沢啓二の代役として出演。 |
| ヤクルト監督退任後、初めてメディアに登場した。 |
| 2011年からは日刊スポーツの評論家、GAORAプロ野球中継の解説者を務める。 |
プレースタイル
| 高田はプロ野球史上でも屈指の名左翼手の呼び声が高い。 |
| 特に得意としたのは外野フェンスに当たった打球がどのようにはね返るかを正確に先読みし、本来なら二塁打となる当たりをシングルヒットにとどめてしまうというプレーで、「壁際の魔術師」と呼ばれた。 |
| どの球場においても三塁線を抜いた打球が左翼フェンスのどこに当たり、どの角度で跳ね返るかを把握していた。 |
| そしてゴロを捕球した際、今度は二塁ベースがどこにあるか把握できており、目をつぶっても送球できたという。 |
| また、クッションボールの正確な処理もさることながら高田自身は「クッションに入れないことを第一に考えた」と語っており、打者のスイングから打球の方向を見極め、常に打球への最短距離を走るように努めたという。 |
| その守備範囲の広さ、打球への反応の速さは長嶋茂雄に「オレの後ろにもう一人三塁手がいたようなもの」と言わしめている。 |
| ある試合で、田淵幸一の打ち返した打球が長嶋がファウルだと思うほどのライン際で、長嶋が「ファウルだファウルだ」とアピールする中、高田がこの打球を素早く処理し田淵を二塁アウトにし、長嶋が一転して「やっぱりフェア、アウトアウト」とアピールし直したこともあるという。 |
| このプレーは田淵も覚えており、「いくら僕が足が遅いといったって、あれは完全な二塁打コース。 |
| あれで高田さんに逆らうのはやめよう(一塁にとどまろう)と思った」と語っている。 |
| 高田を内野手に転向させたのは長嶋茂雄だが、その長嶋自身が「高田の魅力は内野手より外野手でしょう」と語っている文春Numberビデオ「巧守好走列伝」。 |
| 当時の巨人はV9時代で、レギュラーもほとんどが固定している中で、厳しい競争を勝ち抜きレギュラーを勝ち取った。 |
| その一方で選手の信望も厚かったという。 |
| 当時監督の川上哲治は高田について「実にスマートな生き方をした選手。 |
| 自分勝手に気ままにやりながら誰からも憎まれも嫌われもせず、逆に良く好かれていた。 |
| 努力も相当したんだろうけど、彼には努力の跡はまるで感じられず、ただいい選手だったと言う事だけが強く残っている」と語っている。 |
| 一方、バッティングは強烈な引っ張りが特徴で、レフト線への強烈な打球がファールになることが多く、「高田ファール」と名付けられるほどだった。 |
| 打撃コーチだった荒川博は打球の方向を修正するためにかなり苦心したが、結局直らなかったという。 |
| 荒川は「言われたことは何でも『ハイ!』と素直に聞いてくれたが、試合になると結局元に戻っていた。 |
| もしかしたら守備に比べたらあまりまじめに取り組んでいなかったんじゃないかな」と語っている。 |
| また荒川は、「もし矯正できていれば、コンスタントに年間30本塁打できる選手になれた」とも語っている。 |
| また打席でファールをよく連発し、よく粘ることで相手ピッチャーの投球数を稼がせるのが常套手段であった。 |
| (その時観客からは一回のファール毎に溜め息がつかれることがよくあった)。 |
| 1980年に引退した際、「イメージと捕球位置との間、20cmぐらいの誤差が出るようになりました。 |
| 高田と同じく34歳で開幕を迎えたシーズンで引退した新庄剛志の引退理由とやや似ている。 |
人物
| 大阪市立加賀屋中学校時代は成績優秀であったため、当初は大阪府立岸和田高等学校への進学を希望していた。 |
| しかし野球をしたいがために、途中で志望を変更し、最終的には浪商高校への入学を決めた。 |
| 子供の頃から南海ホークスファンで、高校在学時に南海の当時の監督鶴岡一人から、「内野手として採るから来て欲しい」と誘われる。 |
| 大学時代は、明治の「御大」こと監督の島岡吉郎にもっとも可愛がられた優等生であった。 |
| 主将を務めていた時期も、鉄拳制裁を辞さないスパルタ教育で知られた島岡に、一度も殴られなかったという。 |
| 一方、高田自身は、荒くれ者揃いで知られる浪商高出身であるからか、紳士的な外見からは想像できないほどの武闘派であった。 |
| 大学の1年後輩であり乱闘で有名な星野仙一(後の中日・阪神・楽天イーグルス/監督)にとって、頭の上がらない人物の一人である。 |
| 1976年には、巨人に移籍してきた張本勲に対して「巨人では俺の方が先輩」という理由で対等に口をきいた(張本は高田の出身校・浪商高の大先輩にあたり、また当時パ・リーグの暴れ者として知られた日本ハムの中でも、特に一目置かれる存在であった)。 |
| 高田の芯の強さ、気の強さを示すエピソードの一つである。 |
| 近眼で、大学時代からコンタクトレンズを愛用していた。 |
| しかし目が悪いことを誰にも話しておらず、周囲の人間はもちろん、寮で同室だった星野や、キャプテン時代ほとんど行動を共にしていた島岡もそのことを知らなかった。 |
| 卒業直前、何気なくコンタクトを外した高田を見た島岡から「いつからコンタクトをはめていた?」の問いに「大学1年の春からです」と答え、これを聞いた島岡は驚きのあまり座っていた椅子から転げ落ちたという。 |
| 近年では、カラフルなグローブを利用する選手も多く見られるが、1970年代後半期においては茶色のグラブ以外を使う選手はまずいなかった。 |
| そのようななか、高田は青いグラブを愛用しており、アドバイザリースタッフ契約しているミズノ(当時は美津濃スポーツ)では“高田モデル”という青のグラブが大変人気があった。 |
表彰
| 新人王(1968年)。 |
| ベストナイン:4回(1969年-1972年)。 |
| ダイヤモンドグラブ賞:6回外野手として1972年-1975年の4回、三塁手として1976年-1977年の2回。 |
| 外野手・内野手の双方での受賞は史上初、外野手→内野手の順での受賞は史上唯一。 |
| 日本シリーズMVP:1回(1968年、新人選手の受賞は1960年の近藤昭仁に続く2人目)。 |
| 日本シリーズ技能賞:1回(1969年)。 |
| 日本シリーズ優秀選手賞:1回(1973年)。 |
記録
| オールスターゲーム出場:8回(1968年-1973年、1975年、1976年)。 |
解説者としての出演番組
| NHKプロ野球(1981年~1984年、1989年~1991年)。 |
| DramaticGame1844(日本テレビ系列)-同系列プロ野球中継の現行タイトル。 |
| ラジオ日本ジャイアンツナイター(RFラジオ日本)(2002年~2004年)。 |
| GAORAプロ野球中継(日本ハム戦)(2011年~)。 |
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1945年
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高田 繁(たかだ しげる)は、大阪府大阪市住... |
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1968年
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明治大学農学部農業経済学科卒業、農学士号取得 |
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