| 1907年(明治40年)。 |
| 福井県知事阪本釤之助永井荷風の父方の叔父であり、したがって荷風と高見順は従兄弟同士になるが、それにも拘らず互いに極めて険悪な関係にあった。 |
| の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。 |
| 母・高間古代(コヨ)は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性。 |
| 1908年(明治41年)1歳。 |
| 実父と一度も会うことなく、東京麻布飯倉にあった父の邸宅付近の陋屋に育つ。 |
| 私生児としてしばしばいじめを受けた。 |
| 阪本家からは毎月10円の手当てを受けていたがそれでは足りず、母が針仕事で生計を立てた。 |
| 1924年(大正13年)17歳。 |
| 東京府立第一中学校卒業、第一高等学校文科甲類入学。 |
| 一高社会思想研究会に入会。 |
| 1925年(大正14年)18歳。 |
| ダダイズムの雑誌「廻転時代」を創刊。 |
| 1926年(大正15年・昭和元年)19歳。 |
| 校友会文芸部委員に就任。 |
| 1927年(昭和2年)20歳。 |
| 一高卒業、東京帝国大学文学部英文学科入学。 |
| 同人雑誌「文芸交錯」創刊に参加。 |
| 1928年(昭和3年)21歳。 |
| 左翼芸術同盟に参加、機関紙「左翼芸術」に小説『秋から秋まで』を発表。 |
| 東大内の左翼系同人雑誌7誌が合同して「大学左派」創刊に参加。 |
| 劇団制作座の仕事に従事し劇団員だった石田愛子と知り合った。 |
| 1929年(昭和4年)22歳。 |
| 「大学左派」の後身「十月」創刊や「時代文化」の創刊に参加し、プロレタリア文学への道を進んだ。 |
| 1930年(昭和5年)23歳。 |
| 研究社英和辞典臨時雇として勤務。 |
| コロムビア・レコード会社教育部に勤務。 |
| 雑誌「集団」創刊に参加。 |
| この頃、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)に参加したと推定される。 |
| 1933年(昭和8年)26歳。 |
| 治安維持法違反の疑いで大森署に検挙される警視庁から派遣されてきた特高刑事は、小林多喜二を調べた刑事のひとりで、「お前も多喜ニのようにしてやるぞ」と脅かされ拷問されたという。 |
| が、「転向」を表明し半年後に釈放された。 |
| 妻・愛子が他の男性と失踪し離婚した。 |
| 「その間に、離婚のいざこざがあった。 |
| その悲しさにぶつかって、私は初めて人生的開眼を得られたといっていい。 |
| 人生的開眼はとりもなおさず文学的開眼でもあった」(『文学的自叙伝』)。 |
| 雑誌「日暦」創刊に参加した。 |
| 1935年(昭和10年)28歳。 |
| 饒舌体と呼ばれる手法で『故旧忘れ得べき』学生時代に左翼運動に関わり、後に脱落した男たちの頽廃と虚無を諧謔味のある筆致で描いている。 |
| 母一人子一人の貧しい家庭に育ち妊娠中の不器量な妻を持ち小心翼翼とした生活をおくる小関健児、才知溢れるモダンボーイで女たらしの篠原辰也などが登場する。 |
| を「日暦」に発表、第1回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立した。 |
| 1936年(昭和11年)29歳。 |
| 「人民文庫」の創刊に「日暦」同人とともに参加。 |
| コロムビア・レコード会社を退社、文筆生活に入る。 |
| 思想犯保護観察法が施行され、擬似転向者として再調査される。 |
| 1938年(昭和13年)31歳。 |
| 浅草五一郎アパートに部屋を借りて浅草生活を始める。 |
| 1939年(昭和14年)32歳。 |
| 『如何なる星の下に』大森に住む倉橋という中年の作家が浅草にアパートを借り、戦時下の浅草の風俗を描写している。 |
| レビューの踊子小柳雅子、元踊子の嶺美佐子、売れない役者のドサ貫、浅草徘徊作家の朝野光男、倉橋の妻を奪ったレビュー歌手の大屋五郎などが登場する。 |
| なおモデルは戦前の東京吉本の芸人たちとされる。 |
| 舞台となるK劇場は浅草花月劇場(吉本興業直営)、主人公・小柳雅子のモデルは、当時の「吉本ショウ」の踊り子、立木雅子と小柳咲子と言われる。 |
| 戦前、東京吉本社員だった旗一兵による指摘(旗一兵 『喜劇人回り舞台-笑うスター五十年史』 学風書院、1958年、135頁)。 |
| なおラストの京都のS興行による芸人引き抜き事件は、実際に昭和14年に起こった松竹傍系の新興キネマ演芸部による、吉本の人気芸人引き抜き事件がモデルであろう。 |
| を「文芸」に発表、高い評価を受ける。 |
| 1950年(昭和25年)43歳。 |
| 『胸より胸に』中年の会社嘱託日下重吉とその過去の愛人で元レビューの踊子だった上村優子、大学教師波多野俊彦と彼が好意を寄せるレビュー踊子宮島志津子が物語の中心で、他に日下の親友で医師の狭間、レビュー作家の宇佐美や吉植松雄、日下の妻で銀座で喫茶店を経営する妙子などが登場する。 |
| を「婦人公論」に発表。 |
| 戦後は、「わが胸の底のここには」、「あるリベラリスト」などの作品で私小説風に傷つきやすい精神を掘り下げた作品を次々と発表する。 |
| また、晩年は、昭和という時代を描く「激流」「いやな感じ」「大いなる手の影」の連作を発表する。 |
| 長編などでは他に「都に夜のある如く」、「生命の樹」、「今ひとたびの」などがある。 |
| また、詩人としても活躍し、「樹木派」、「わが埋葬」、「死の淵より」(最晩年の作品、新版が講談社文芸文庫)などを発表する。 |
| 永井荷風と並ぶ日記作家としても知られ、昭和史の資料ともなった「高見順日記」を著わす。 |
| (「敗戦日記 新版」が中公文庫で再刊)。 |
| 回想記に「昭和文学盛衰史」がある。 |
| また晩年に、近代文学の資料の散逸を防ぐため、日本近代文学館の建設に尽力したが、落成間近に食道癌で亡くなった。 |
| 文化功労者が追贈された。 |
| 勁草書房で「全集」、「全日記」が刊行された。 |