20713
20915
233135
%E9%AB%98%E9%A0%88%E5%9B%9B%E9%83%8E
%E9%AB%98%E9%A0%88%E5%9B%9B%E9%83%8E
%E9%AB%98%E9%A0%88%E5%9B%9B%E9%83%8E
%E9%AB%98%E9%A0%88%E5%9B%9B%E9%83%8E
%E9%AB%98%E9%A0%88%E5%9B%9B%E9%83%8E
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 高須四郎の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
高須四郎(たかすしろう、1884年10月27日-1944年9月2日)は大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍大将。茨城県桜川村(現稲敷市)出身。
生涯
| 旧制土浦中学(現土浦第一高等学校)卒業、海軍兵学校35期、海軍大学校17期。 |
| 海軍ではイギリス勤務が多く、駐英武官、その後軍令部出仕兼海軍省出仕として五・一五事件の海軍側関係者を裁く軍法会議の判士長を務めた。 |
| 中将時代には海軍大学校校長を務め、日中戦争勃発当時は第一航空戦隊司令官として上海地区で陸戦隊を支援している。 |
| のちには駐満海軍部司令官として、在地海軍兵力と満洲帝国海上部隊を統一指揮した。 |
| 第五艦隊(のち第二遣支艦隊)として南支方面の封鎖作戦を担当。 |
| 北部仏印進駐の際は、平和進駐方針を無視した富永恭次らの行動に反発し、護衛艦艇を引揚げる強硬手段をとった『井上成美』「支那方面艦隊参謀長時代」。 |
| のち連合艦隊指揮下の第四艦隊(内南洋担当)長官に転じた。 |
| 対米開戦が間近となった1941年(昭和16年)8月、指揮の利便性などから旧来連合艦隊司令部の兼任していた第一艦隊司令部が独立することとなったことから、初の専任の第一艦隊司令長官に任命される。 |
| 1944年(昭和19年)3月末に連合艦隊司令長官古賀峯一大将が殉職する事件(海軍乙事件)が起こった際には、当時南西方面艦隊司令長官を務めていた高須は後任の豊田副武大将が着任するまで一時的に連合艦隊司令長官代行として連合艦隊の指揮をとった。 |
| 高須の指揮はあ号作戦に備えていた角田覚治の第一航空艦隊、小沢治三郎の第一機動艦隊麾下の航空機を、米軍が上陸してきたニューギニア方面の攻撃に振り向けようとするもので、連合艦隊に混乱が発生している『四人の連合艦隊司令長官』「古賀峯一の作戦」。 |
| 南西方面艦隊長官在任2年の間に病を得ており、内地に帰還後軍事参議官となったが、まもなく東京で戦病死した。 |
| 長男は、戦時中に病死し、二男の敏行は、元日本大学経済学部教授。 |
人物評
| 駐在武官としての勤務や支援部隊の指揮官としての勤務が多かった事、日米開戦時に内地に待機しており、以後も戦場に恵まれず『呉艦隊』『柱島艦隊』と揶揄された第一艦隊長官であった事や、戦争中に戦病死した事から、他の提督に比べ華々しく活躍する機会に恵まれず、地味な提督として評価される傾向がある。 |
| 反面、知英派で当時の欧米事情に詳しく政治的に中立な立場を貫く一方、五・一五事件の後に、政党政治の崩壊を嘆き激昂した事、日独伊三国軍事同盟や日米開戦に反対していた事や、一時的とはいえ連合艦隊司令長官代行として実戦指揮をとった事実から、決して凡庸な提督では無く、現実的な判断の出来る優れた海軍軍人の一人として評価する意見も多い。 |
| 実直で清廉潔白な性格の持ち主で、山本五十六や米内光政等、海軍左派勢力からも強く信頼されていた。 |
| 判士長を務めた五・一五事件の裁判で一人も死刑を出さなかった事が、後の二・二六事件の誘引になったという批判を終生気に病み、死去直前にも「死刑者を出すことで海軍内に決定的な亀裂が生じる事を避けたかっただけだ」と家族に胸中を吐露していた。 |
年譜
| 1907年(明治40年)11月20日-海軍兵学校卒業(35期)。 |
| 同期に近藤信竹、野村直邦。 |
| 1908年(明治41年)12月25日-任海軍少尉。 |
| 1910年(明治43年)12月1日-任海軍中尉。 |
| 1913年(大正2年)12月1日-任海軍大尉。 |
| 1917年(大正6年)12月1日-海大甲種学生。 |
| 1919年(大正8年)12月1日-任海軍少佐。 |
| 1923年(大正12年)6月1日-在イギリス大使館付武官補佐官。 |
| 12月1日-任海軍中佐。 |
| 1926年(大正15年)9月15日-海軍大学校教官。 |
| 1928年(昭和3年)12月10日-任海軍大佐。 |
| 1925年(大正14年)10月20日-軽巡洋艦「五十鈴」艦長。 |
| 1930年(昭和5年)12月1日-在イギリス大使館付武官。 |
| 1934年(昭和9年)11月15日-任海軍少将。 |
| 軍令部第三部長。 |
| 1937年(昭和12年)12月1日-練習艦隊司令官。 |
| 1938年(昭和13年)11月15日-任海軍中将。 |
| 1939年(昭和14年)9月29日-第五艦隊司令長官。 |
| 11月15日-第二遣支艦隊司令長官。 |
| 1940年(昭和15年)4月29日-勲一等旭日大綬章。 |
| 11月15日-第四艦隊司令長官。 |
| 1941年(昭和16年)8月11日-第一艦隊司令長官。 |
| 1942年(昭和17年)9月15日-南西方面艦隊司令長官。 |
| 第二南遣艦隊司令長官(兼任)。 |
| 1943年(昭和18年)9月20日-第十三航空艦隊司令長官(南西方面艦隊司令長官との兼任)。 |
| 1944年(昭和19年)3月1日-軍事参議官。 |
| 6月18日-任海軍大将。 |
参考文献
| 井上成美伝記刊行会『井上成美』。 |
| 吉田俊雄『五人の海軍大臣』文春文庫。 |
| 吉田俊雄『四人の連合艦隊司令長官』文春文庫。 |
| 外山操編『陸海軍将官人事総覧』芙蓉書房出版。 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
近藤信竹
大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大将。大阪府出身。 |
|
|
山本五十六
新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死す... |
|
|
古賀峯一
日本の海軍軍人。太平洋戦争において殉職した第28代連合艦隊司令長官である。最終階級は海軍大将。殉職後は特旨により元帥号を授与される。佐賀県西松浦郡出身。 |
|
|
野村直邦
大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。鹿児島県日置市出身。 |
|
|
豊田副武
日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。大分県杵築市出身。 |
|
|
米内光政
日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。海軍大臣、内閣総理大臣(第37代)などを歴任した。渾名は「金魚大臣... |
|
|
南雲忠一
日本海軍の軍人。太平洋戦争において日本海軍機動部隊の司令長官として主要な海戦で指揮を執った。海軍大将、従三位、勲一等、功一級。 |
|
|
沢本頼雄
大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校36期、海軍大学校17期。最終階級は海軍大将。山口県出身。兵学校の同期生に南雲忠一大将、清水光美中将、塚原二四三大将、... |
|
|
永野修身
大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校28期。最終階級は元帥海軍大将・正三位・勲一等・功五級。東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。帝国海軍の歴史上、海軍三長... |
|
|
吉田善吾
日本の海軍軍人。海軍大将。旧制佐賀中学校を経て、海兵32期を卒業。佐賀県出身。 |
|
|
井上成美
日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。宮城県仙台市出身。親英米派(条約派)の米内光政、山本五十六の人脈に属し、日独伊三国軍事同盟、日米開戦に強硬に反... |
|
|
嶋田繁太郎
大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍大将。東京都出身。 |
|
|
小沢治三郎
大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中将。最後の連合艦隊司令長官。宮崎県児湯郡出身。 |
|
|
塚原二四三
塚原二四三(つかはらにしぞう、一説には「つかはらふしみ」、明治20年(1887年)4月3日-昭和41年(1966年)3月6日)は大正~昭和期の大日本帝国海軍軍人。海... |
|
|
高木武雄
日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。福島県いわき市出身。磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)卒。海軍兵学校(39期)、海軍大学校(23期)卒業。幼少の... |
|
|
伊藤整一
日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。勲一等旭日大綬章受章。(戦没者殊勲)福岡県三池郡高田町(現・みやま市)出身。伝習館、海軍兵学校(39期)、海軍大... |
|
|
豊田貞次郎
大日本帝国海軍の軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 |
|
|
及川古志郎
日本の海軍軍人。海兵31期、海軍大学校13期。海軍大将。岩手県出身。 |
|
|
塩沢幸一
日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。長野県伊那郡大草村(現上伊那郡中川村)出身。文芸評論家の中沢臨川は兄。 |
|
|
高須四郎さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|