| 家族構成は父、母父親を「おとべ」、母親を「おかべ」と呼ぶようである(姉談)。 |
| 、姉一人。 |
| 姉はテレビ朝日の番組「ロンドンハーツ」に妹みゆきへのどっきりの仕掛け人として出演した事がある『ロンドンハーツ』2009年4月14日放送。 |
| 中学校では卓球部に所属していたが、ラリーが出来ない為得点係となる。 |
| だが点数ではなくセットカウントをめくってしまうのですぐに時計係に回される。 |
| 試合経験はなく倉庫で壁打ちの日々であったと言う。 |
| 『日刊スポーツ』2008年1月31日。 |
| 中学時代、昭和のいるこいるをライブで見て「お笑いって何をやってもいいんだ」とお笑いに目覚める。 |
| 芸人になれば変な行動をしても大丈夫(まともに見える)なのではと思うようになる。 |
| 他に中学時代には姉と一緒に読者モデルを始める。 |
| 高校ではワープロ部に所属していたが、部員3人で2人は後輩だったのに部長ではなかった。 |
| 早打ち自慢の言葉は「江東区木場」。 |
| 今もワープロ愛用者だがインクリボンがないため印刷はしない。 |
| 高校3年生当時まで友達が一人もおらず、友達を作りたくてお笑いを始めるが逆に人が遠ざかっていったという講談社『FRIDAY』2007年12月14日号。 |
| そのような中でも色々話したいことや表現したいことを書き溜め、そのうちにそれを発表するために舞台に出たいと思い、卒業後、18歳の時にラブ守永に誘われ『松みのるお笑い塾』松みのるお笑い塾というお笑い養成所に入る。 |
| 約1年間通い、その養成所時代にライブに初出演する麻布台出版社『お笑いポポロ』2006年5月号。 |
| その養成所の講師から「ダメ出ししようがない」と言われたことがある。 |
| その後、姉の伝手で最初の事務所(S&DStudio)に所属する。 |
| 基本的に俳優・モデル系事務所の為、当時お笑い部門は鳥居みゆき一人だったという。 |
| 2001年頃に、アコムのイメージキャラクターオーディションの最終選考まで残るが落選(面接で「これに落ちたら本当におたくのお世話になる事になります」と言ったのが落選理由ではないかと語っている)。 |
| このことはネタ「妄想結婚式」にも取り入れられたり未だに話題にする事もある(この時選ばれたのは小野真弓)。 |
| 2002年にラブ守永とコントユニット『ラモンズスクイット』を結成するが鳥居の作るネタに守永が付いて行けず短命に終わる当時を「(ラブ守永は)私のマリオネットではなかった。 |
| 」と語っている。 |
| 1月-7月頃まで活動。 |
| 別にパンクバンドの『ラモーンズ』が好きで名づけたわけではないとのこと。 |
| 2005年に「ギャグラ!」を発売するが、現在の鳥居にとって触れられたくない件らしく、触れられると相当嫌がるネタの他に本人が不本意とする水着などでのイメージビデオのシーンがある為映像自体はごく普通のイメージビデオであり、当人のプロポーションなど特に問題点はない。 |
| あくまで鳥居本人が不本意であるというだけの事である。 |
| 2007年春頃、年上の会社員と結婚。 |
| 既婚者であることは、2008年4月に本人の口から突然発表されたORICONSTYLE「 |
| この時まで、所属事務所のサンミュージックを含め関係者も一切知らされていなかった。 |
| 2007年、GyaOのカンニング竹山が出演するカンニングの恋愛中毒へ出演する。 |
| その動画がたちまち2ちゃんねる等ネット上で話題になり、ブレイクのきっかけとなった。 |
| その後も過去、現在の様々な動画がネット上で公開されている。 |
| 2008年2月、ピン芸人の頂点を決める大会、『R-1ぐらんぷり2008』(参加人数2731人)にて、有力候補者たちの予選敗退が続出した混戦を潜り抜け、自身初の決勝戦進出を果たし、451点で8人中6位となった。 |
| その際に、審査員のダンカンから「これからどう進化していくのか非常に楽しみ」と、希望を持った評価を受けた。 |
| 翌2009年にも決勝に進出し8位となる。 |
| 2009年4月、『ザ・イロモネア』の企画「ピンモネア」で史上初となる100万円獲得を達成。 |
| 2010年10月、M-1グランプリ2010に、飛石連休・藤井宏和と組んでのコンビ『大型連休』で出場(1回戦出場は10月1日)。 |