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プロフィール
- 鳩山由紀夫とは
- 生い立ち
- 自由民主党
- 新党さきがけ
- 旧民主党
- 民主党
- 内閣総理大臣
- 内閣総理大臣 辞任後
- 思想信条
- 政策
- 憲法・改憲論
- 皇位継承問題
- 天皇会見に関する宮内庁との衝突
- 雇用
- 外交
- アメリカ合衆国
- 在日米軍再編
- 日本人拉致事件容疑者親族の政治団体への献金問題
- その他・発言
- 関連サイト
鳩山由紀夫(はとやまゆきお、1947年(昭和22年)2月11日-)は、日本の政治家。学位は Ph.D.(スタンフォード大学・1976年)。衆議院議員(8期)。民主党最高顧問。東京工業大学工学部助手、専修大学経営学部助教授、 内閣官房副長官、新党さきがけ代表幹事(第2代)、旧民主党代表(初代)、民主党代表(第2・7代)、内閣総理大臣(第93代)などを歴任した。
生い立ち
| 東京都小石川区(現在の文京区)に大蔵官僚(のちに参議院議員)だった父・鳩山威一郎、母・安子の長男として生まれる。 |
| 学習院初等科、学習院中等科、東京都立小石川高等学校を経て、東京大学工学部応用物理・計数工学科を卒業。 |
| その後、スタンフォード大学の博士課程でオペレーションズ・リサーチを専攻しPh.D.を取得(1976年博士論文はシステムの信頼性解析に関するもの)。 |
| 1976年東京工業大学助手、1981年に竹下登が理事長を務め曾祖父鳩山和夫が設立に大きく貢献した専修大学の経営学部助教授に就任したが、1984年3月に政界入りをこころざして退職した『鳩山由紀夫事典』129-130頁。 |
自由民主党
| 1986年、第38回衆議院議員総選挙で、自民党の公認を得た田中派新人として、鳩山家が牧場を所有し中選挙区時代は出陣式行っていた鳩山神社という神社がある祖父の代からの地盤北海道から『鳩山由紀夫事典』68-69頁。 |
| 、出馬した。 |
| 鳩山事務所側は、「立候補の直接のきっかけは福田派の衆議院議員・三枝三郎の引退がきっかけ」と主張している。 |
| 初の選挙スローガンは科学者を志望していた自身の経歴をアピールした「政治を科学する」であった『鳩山由紀夫事典』44-45頁。 |
| 得票数では同じ自民党・石原派から福田派合流の高橋辰夫に次いで2番目の得票数で当選した。 |
| 小選挙区になった1996年以降は、鳩山家が開拓した地域は鳩山の選挙区から外れた(中選挙区時代のライバルで民社党出身小平忠正が選出されている北海道10区内の栗山町)『鳩山由紀夫事典』69頁。 |
| 当時39歳、弟邦夫に遅れること10年と、決して早いとはいえない政界入りだったが、豊富な資金力『鳩山由紀夫事典』66-67頁。 |
| に加え、祖父以来の人脈や名門出身の毛並みの良さ・知名度に支えられ『鳩山由紀夫事典』65-66頁。 |
| 、短期間で頭角を現し、1990年代の政界再編期に、一躍、中心的存在となっていく。 |
| 1988年には86年当選組を中心とした派閥横断的な政策集団として、のちの新党さきがけの母体となる「ユートピア政治研究会」を結成、リクルート事件に揺れる党内にあって、自民党の巨額の政治資金の実態を明らかにして反響を呼び、1990年代の「政治改革」運動の萌芽となった。 |
新党さきがけ
| 1993年、政治改革を巡り自民党を離党。 |
| 武村正義らと新党さきがけを結成参加し事務局長就任。 |
| 総選挙後、非自民・非共産連立政権で成立した細川護熙内閣では内閣官房副長官(政務)に就任し、新党さきがけ代表の武村官房長官、代表代行の田中秀征首相特別補佐、日本新党代表幹事で、のちに、新党さきがけに移籍する荒井聰とともに細川内閣を支えた。 |
| 日本社会党委員長村山富市を首班とする自社さ連立政権では、さきがけ初代代表幹事園田博之の官房副長官就任にともない、後任の幹事長として政権を支えた。 |
| 1994年秋、北海道経済界や保守陣営から翌春の新人対決の1995年北海道知事選挙に出馬がとりざたされ本人も乗り気だったが、村山と武村と井出正一の説得で断念『鳩山由紀夫事典』47頁。 |
| 自民党と(自身の86年初当選同期で親交有る佐藤静雄_(衆議院議員)の当時の所属政党)自由連合の共同推薦候補伊東秀子を支持したが、横路孝弘後継で新進党と日本社会党の推薦候補堀達也に敗北した。 |
| (実は1991年北海道知事選挙でも圧倒的な強さを誇る横路知事への対抗馬に名前が挙がったが固辞、実弟邦夫の東大法学部同級生で自身の友人で自身の選挙区内の白老町に別荘所有の国際政治学者舛添要一を自民党道連に紹介し舛添自身も一時的に乗り気だったが横路知事の圧倒的な強さを感じて辞退、告示一ヶ月前を切った段階で前年議席を失った中曽根派前代議士の佐藤が出馬表明し惨敗)。 |
| 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙で新党さきがけ代表幹事として山中あき子を北海道選挙区で擁立画策したが、山中の辞退により失敗に終わる。 |
旧民主党
| 1996年の春頃から新党さきがけの党名を発案した簗瀬進や簗瀬の宇都宮高校の後輩で中選挙区時代からのライバルで同じく栃木1区出馬予定の新進党幹部船田元と新党構想を打ち上げる。 |
| 船田との新党作りは挫折したが、横路、簗瀬、菅直人、弟の邦夫と共に旧民主党を結党。 |
| 「排除の論理」で武村と袂を分かつ『鳩山由紀夫事典』52頁。 |
民主党
| 民主党では幹事長代理を経て、1999年9月の民主党代表選挙に勝利。 |
| 公約として正面から憲法改正を掲げて話題となった。 |
| 2000年6月の衆院選、2001年7月の参院選など、国政選挙の度に党勢を拡大させ、2002年9月の代表選でも勝利したが、直後の人事で批判を浴びて求心力が低下、2002年12月統一補選での惨敗と自由党との統一会派騒動をめぐる党内混乱の責任を取る形で代表を辞任。 |
| 幹事長代理時代の第18回参議院議員通常選挙、さきがけ時代からの同志で同い年の友人中尾則幸が本来は6年前初当選した北海道選挙区での出馬を希望していたが92年初当選同期で社民党出身峰崎直樹と定数4から半減で公認争いの結果、道選挙区は峰崎に決定。 |
| 中尾は比例区に鞍替えを余儀なくされ後見人的存在の鳩山は民主党代表菅直人に「犠牲を払った中尾君をくれぐれも宜しく頼む」と上位優遇を依頼したが結果は当選圏外15位、12人しか当選せず落選、鳩山は中尾の友人のジャーナリストばばこういちにまで菅に対する不信感を露にした。 |
| 中尾は参院選で落選直後に離党し翌春札幌市長選に完全無所属で出馬し民主党は与野党相乗りで現職桂信雄を推薦していたが、鳩山は中尾を応援。 |
| しかし一切処分を受けなかった。 |
| その後も、民主党内で最大派閥であった(民主党は「派閥」とは表現せず「グループ」としている)「鳩山グループ」(政権公約を実現する会)をひきいて、憲法問題や北朝鮮による日本人拉致問題などについて積極的に発言するなど一定の影響力を維持していた。 |
| 2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙で民主党が敗北したことを受けての代表選挙では、当初、小沢一郎、菅直人らと後継代表の一本化を図るが、中堅・若手の代表格である前原誠司が立候補を表明したため水泡に帰した。 |
| 9月17日発足の前原執行部で幹事長に就任。 |
| 2006年2月に発生した堀江メール問題では、当時幹事長にもかかわらず、ことの発端となったメールに関し、永田・前原両議員から事前にほとんど何の相談も受けていなかったとされる。 |
| 3月、前原執行部が総辞職すると幹事長を引責辞任することを表明するが、同年4月7日に行なわれた前原誠司民主党代表辞任に伴う代表選で小沢一郎が当選すると、幹事長に留任した。 |
| 新潟県中越沖地震発生当時、新潟市内での演説を予定していたが、高崎駅で下車して、自動車で柏崎市入りした。 |
| 党新潟県中越沖地震対策本部長に就任。 |
| 2007年7月の参議院選挙大勝を受けての党役員人事で引き続き、党幹事長に留任。 |
| 2009年5月、小沢一郎代表の辞任を受け、かねてからの主張どおり党幹事長を辞職。 |
| その後の党代表選挙で岡田克也を破り、代表に就任。 |
| 2009年8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙にて、民主党は単独政党としては史上最多の308議席を獲得。 |
[[内閣総理大臣]]
| 2009年9月16日、衆参両院の首班指名選挙で国民新党、社会民主党を連立与党として、第93代内閣総理大臣に就任。 |
| 戦後の歴代内閣総理大臣としては、初めての大卒かつ理系出身の内閣総理大臣となった実学派の理系出身首相であれば、中央工学校卒業の田中角栄や水産講習所(現東京海洋大学)卒業の鈴木善幸がいる。 |
| 政権は高支持率でスタートしたが、自身の政治資金問題や普天間基地移設問題で米国を巻き込んで大混乱を引き起こしていることが強い批判を浴び、翌年にかけて支持が急降下。 |
| 2010年6月2日、民主党両院議員総会で「国民が聞く耳を持たなくなった」と述べ、民主党代表および内閣総理大臣からの職を退くと表明した |
| なお、鳩山は歴代の内閣総理大臣が行っていた国民向け退任会見である内閣記者会は拒否している歴代内閣総理大臣は退任理由や政権の総括を公式とされる退任会見で述べた。 |
| ぶら下がり取材に応えたが、内閣記者会の再三の申し込みにもかかわらず退任会見すら行わなかった。 |
内閣総理大臣 辞任後
| 鳩山は「総理大臣まで極めた人がその後、影響力を行使することが政治の混乱を招いている。 |
| 総理大臣を経験した者は政界に影響力を残すべきでない」と明言していたため |
| 引退撤回後の鳩山は、1月11日に在日本大韓民国民団の新年会に参加。 |
| 「皆様方の悲願である(外国人)地方参政権の付与に関して、大きな道を開く年にしていこうではないか」と挨拶し、改めて外国人参政権の実現を目指すことを宣言したり鳩山前首相、民団新年会で「参政権、大きな道を開く年に」外国人参政権付与目指す-MSN産経ニュース |
| 1月17日にインドを訪問し、中国の軍備拡大に対抗して核実験を行おうとしているシン首相に対して、核凍結をしなければ、日印原子力協定交渉を白紙化をすると迫る読売新聞核実験しない約束を…鳩山前首相がインド首相に: |
| また、2010年9月民主党代表選挙では、鳩山グループの組織力を背景に小沢一郎と菅直人の対立を仲介する役割としての復権を目論むが、代表選挙で勝利した菅から疎まれ、菅内閣の第2次改造の組閣に際しては、総理大臣経験者にも関わらず全く相談をされなかった朝日新聞社:鳩菅かつてない溝人事相談なし、与謝野氏入閣で決定的 |
| 菅首相の辞任に伴う民主党代表選挙では小沢グループとともに自身のグループに所属する海江田万里経済産業大臣を支援するものの、海江田は野田佳彦財務大臣に敗れたが、その後の野田内閣発足に伴う民主党役員人事で党最高顧問に就任した。 |
思想信条
| 「リベラルは愛であり、この愛は友愛である」と、祖父鳩山一郎が好んで用いた友愛という言葉をリベラルの根底においている。 |
| {{Citeweb。 |
| 鳩山由紀夫の祖父、鳩山一郎は、第二次世界大戦終結後、戦前の統帥権干犯問題の責任を問われて公職追放され、追放解除目前の1951年には脳梗塞で倒れ、不運な状態が続いたことから世間の同情を集めていたが、リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と出会い、その友愛思想に感銘を受けて、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯のドイツ語の著作『』(1937年)の英訳書『TheTotalitarianStateAgainstMan』(1938年)を『自由と人生』(1952年)と題して自ら翻訳出版した{{Citeweb。 |
| 鳩山も自身の祖父の友愛思想とクーデンホーフ=カレルギーの友愛思想を政治活動の基本とし、鳩山友愛塾など友愛の名前がついた組織、団体などを設立している。 |
| 鳩山は1996年に『論座』へ寄稿した論文「わがリベラル友愛革命」で、自己の尊厳を高めることに最大の努力を払う、自己を高めて初めて他者に優しく振る舞うことができる、自愛が利他を生む、意見を異にしてもそれを許容し、品格を信頼し友情を結ぶことができるという自己の尊厳の尊重が友愛精神の本質だと説いている{{Citeweb。 |
| キリスト教系の政財官界人の親睦会「インターナショナル・VIP・クラブ」で講師を務めているが、自らは新興宗教崇教真光の信徒である。 |
政策
| マニフェスト(政権公約)については、「いつまでに何をやるという工程表をマニフェスト(政権公約)で示すつもりはない。 |
| 揚げ足を取られる危険性がある」と述べており、政権公約に政策実現の目標期日を設定することに否定的である『読売新聞』2009年6月27日。 |
| 日米関係強化を外交の柱とした小泉純一郎・元総理とは大きく異なり、全方位外交を実践。 |
| 近隣諸国との相互理解を深めつつ、対等な日米関係を目指す安定した友愛外交を展開する。 |
| 2010年度通常国会にて人権侵害救済法案と外国人地方参政権法案、夫婦別姓法案の成立に強い意欲を示したが国民新党の亀井静香の反対で断念した。 |
憲法・改憲論
| 新憲法制定議員同盟顧問を務め、憲法改正を推進している。 |
| 2000年には「2年で改正試案を各党が出して、速やかに憲法改正の結論をつけよう」と呼びかけ中曽根康弘「21世紀日本の国家戦略」、自らも憲法試案を作成した。 |
皇位継承問題
| 『月刊現代』2004年7月号に、「私の憲法改正試案いまこそ『女帝』容認のとき」を寄稿した。 |
天皇会見に関する宮内庁との衝突
| 2009年11月26日、外務省は12月15日を予定とする天皇と習近平中華人民共和国副主席との会見を宮内庁に申請した。 |
| 宮内庁側は、外務省に対し、(天皇の体調への負担と相手国への公平性の観点から)天皇と外国要人との会見は1か月前に申請する(「1か月ルール」)ことを求めており、実際の申請が1か月を切っていたためこれを断った{{citenews。 |
雇用
| 野党時代の2008年末に発生した年越し派遣村について、自身の所属する民主党は「天災ではなく(自由民主党による)人災だ。 |
外交
| 2009年5月15日、日本記者クラブ討論会で、「麻生内閣が推進する価値観外交は嫌いです。 |
アメリカ合衆国
| 産経新聞によると、在日米軍再編交渉の責任者を務めていたリチャード・ローレス元国防副次官が安倍晋三元首相に対し、「アメリカ政府高官の間では鳩山を“日本の盧武鉉”と評している」と述べた(安倍によれば、ローレスは理由として同盟国の指導者としては扱えない・戦略的な話をすることが出来ない・情報を共有することができないの3点を挙げたという){{citenews。 |
在日米軍再編
| 2009年(平成21年)7月19日、鳩山は那覇市にて、普天間基地移設先について「県外移設に県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない。 |
日本人拉致事件容疑者親族の政治団体への献金問題
| 2011年4月に行われた第17回統一地方選挙三鷹市議選に、よど号ハイジャック事件を起こしたよど号グループの元リーダー田宮高麿と、石岡亨・松木薫を欧州から北朝鮮に拉致した結婚目的誘拐容疑で国際手配を受けている森順子容疑者の長男森大志が立候補したが、この森が所属する政治団体『市民の党』の関連団体である『政権交代をめざす市民の会』に対し、2007~2009年にかけ鳩山の資金管理団体「友愛政経懇話会」から1千万円の献金が行われていたことが政治資金収支報告書から明らかになった |
その他・発言
| 2010年1月16日、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で同月15日に元秘書だった石川知裕民主党衆議院議員ら3名が逮捕されたことについて、記者会見で小沢に対し「(検察と)どうぞ戦ってください」と答え。 |
| 一方で、ジャーナリストの高野孟や田原総一朗、衆議院議員の鈴木宗男は鳩山を擁護した。 |
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1764年
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三浦氏の国替えに伴って三河国西尾(現在の愛... |
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1862年
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文久の改革により参勤交代が3年に1度でよくな... |
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鳩山由紀夫さんについてのひとこと紹介
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