| 現役時代の登場テーマ曲はあしたのジョーの「美しき狼たち」だった。 |
| 愛称の「ジョニー」について、2008年4月13日のニッポン放送『春のショウアップナイター検定』にゲスト出演した際に本人の口から理由が述べられた。 |
| ミーティング放送ではアマ時代かプロ時代かの言及はなかったが、以前は「社会人時代」と発言していた。 |
| の際に居眠りをしてしまい、その罰として「丸刈りにするように」と言われ、丸刈りではなく角刈りにしたところ後輩に「山本譲二に似ている」として「ジョージ」というあだ名が付けられた。 |
| この「ジョージ」がいつの間にか「ジョニー」となり、ピッチャーグラブに刺繍を施したり、周囲に「ジョニーと呼んでほしい」と言うようになったとのことなお従前の説としては、入団時に黒木自身が「ジョニーと呼んでくれ」と言ったのがそのまま定着したという説・ウイスキーの「ジョニ黒」(=ジョニー・ウォーカー黒ラベル)から来ているという説・あるいは社会人時代に山本譲二に似ていたことから「ジョージ」と呼ばれていたが、あまり気に入っていなかったために新しい愛称を公表したという説・さらに同じ年にドラフト1位で入団した大村三郎が登録名を「サブロー」としたことで、サブローへの対抗意識から前述のようなアピールにつながったとする説などがあった。 |
| 上述のように1998年7月7日、黒木はカウント2-1からプリアムに、内角にストレートを投げ同点2ランホームランを浴びる。 |
| このカウントではフォークボールまたはホームランを打たれにくい外角を投げるのが一般的には有効であるが、18連敗が始まる前の同年6月12日に黒木は対オリックス戦で1失点完投勝利を収めたが、この唯一の失点はプリアムに投げたフォークボールをホームランにされたものであった。 |
| これを踏まえて、バッテリーはフォークではなく、ストレートを選択し、さらにこの打席で全て外角にボールを投げていたことから、意表をついて内角に投げたと言われている。 |
| イチローがその実力を認めた選手の一人。 |
| 決して球が速いわけでも、ズバ抜けた変化球があるわけではないが、エースと呼ばれる前から「球に気持ちが入っている」「一番タフな対戦相手」と高く評価していたちなみに、1998年7月7日の「運命の9回裏」の先頭打者はイチローである三振。 |
| その後、ニールの安打→谷佳知のファウルフライと続いてプリアムの打席に続く。 |
| 前述のようにイチローにも認められていたが、黒木本人はロッテのエースとしての能力を上げることに頑固なまでに固執していた。 |
| 投手生命を縮めることになった遠因として、1997年-1999年頃の登板過多も挙げられているが、このトレーニングの結果も挙げられている。 |
| 1999年、2000年などの取材で黒木本人が「僕はウェイトトレーニングマニアです」と語っており、全盛期の最晩年には150キロをマークするほどになったが、リリースの瞬間に体を圧迫し、パワーのついた右腕をピッチングマシーンのようにしならせるという明らかに肩に負担を強いるフォームであった。 |
| ケガをして以来、黒木は走り込みを欠かさず行ってきた。 |
| ロッテ浦和球場には黒木が同じところを繰り返し走った結果、そこだけ踏み固められて草(芝)がなくなり道のようになった場所があった。 |
| いつしかファンや球団関係者はその場所を黒木ロードと呼ぶようになった同様のエピソードが桑田真澄にもある。 |
| 恵まれない体格で試行錯誤し、過酷なトレーニングで球速を上げた結果、肘を痛めるなど両者は共通したエピソードが多い。 |
| 新王子製紙春日井(現王子製紙)在籍時、第63回都市対抗野球で補強選手としてチームに合流した西濃運輸のエース吉井憲治(現日本文理大学投手コーチ)から「球はハートで投げろ!」と気合を注入された。 |
| これが黒木の投球術の原点となっており、黒木は今でも吉井を師と仰いでいるという。 |
| 黒木のもう一つの代名詞であった背番号54は前任の石田雅彦(1985年度のロッテドラフト1位入団で現在はロッテ球団打撃投手)より譲られたものであった。 |
| 本人は、ドラフト上位で入団したにもかかわらず、重い番号であることに最初は納得がいっていなかったと言うが、石田に「お前のためにこの番号を温めておいたよ」と言われたことに感激し、恩義を感じていた。 |
| そのため、現役選手の間は背番号は替えることはなかった。 |
| 2004年から監督に復帰したボビー・バレンタインは「自分がいたらこんな無用な怪我はさせていない」と語っている。 |
| これはバレンタイン解任後の1997年に、黒木が敗戦試合にも意味なく長いイニングを投げたことを意味すると思われる。 |
| この年、過度に肩を酷使して肩を消耗させたことが、黒木の投手生命を縮めたと言われている。 |
| マリーンズファンだけではなく、パ・リーグのファンからも人気は高い。 |
| 約3年ぶりの一軍での登板となった2004年4月17日の東京ドームでの対北海道日本ハムファイターズ戦では、ファイターズファンからもマウンドに登る際、大きな拍手を送られた。 |
| また、普段はファイターズのホームゲームにおいてビジターチームの投手がノックアウトで降板するときに「NaNaHeyHeyKissHimGoodbye」が球場内に流されるが、黒木が7回に降板する際は東京ドーム側の配慮なのか流されず、ただスタンディングオベーションが続いた。 |
| 在京期間が長いもののところどころ宮崎訛りである。 |
| 趣味は釣り、パチンコ。 |
| 特に釣り好きで有名。 |
| TV番組で「野球と釣り、どちらか選べと言われたら?」の問いに「釣り」と答えたこともあるほどで、シーズンオフは野球を離れ、ひたすら磯釣りに没頭している。 |
| スポーツニュース出演時に釣りの話を振られ、野球の話題そっちのけで釣りの話を延々続けた事もある。 |
| 釣り好きが昂じて、チームメイトの堀幸一と共にテレビ東京の『釣りロマンを求めて』に出演したこともある。 |
| 2007年レギュラーシーズン最終戦、試合終了後のスタンドにてグラウンドには黒木がいないにもかかわらず「ジョニー」コールが起こった。 |
| 黒木が使用していたSSK製のグラブは内野手用をベースに作られているので、一般的には大きめのグラブを使うことが多い投手の中では珍しく小ぶりなグラブを使っていた。 |
| 2010年4月7日に同郷の先輩である木村拓也が急逝した際には、自らのブログにて故人への思いを語った。 |