| 早くからプロレスラーを志し、その前段階として陸上自衛隊に在隊しレンジャー隊員の資格を有する(よく言われるレンジャー部隊という部署は存在しない)。 |
| 2005年3月5日の横須賀享戦でデビュー。 |
| DRAGONGATEでデビューしたレスラーは鷹木信悟に続き2人目。 |
| マグナムTOKYOからプロレスの手解きを受け、彼がプロデュースするユニットPos.HEARTSに編入される。 |
| 甘いマスク、陸自出身の経験を生かした軽い身のこなし、入場時のダンスで早くも高い女性人気を獲得している。 |
| 2006年4月23日ついに同期の鷹木信悟からシングルで初勝利を果たしオープンザドリームゲートの挑戦権を得る。 |
| 2006年はPos.HEARTSに所属しながら、新生ブラッドジェネレーションと行動を共にしていた。 |
| 新日本プロレスの興行であるLOCKUPにも参戦。 |
| 日本のジュニアヘビー級の重鎮・獣神サンダー・ライガーは、2006年11月19日にタッグパートナーとしてハルクと組み、その試合後に「B×Bハルクは初代タイガーマスクを超えている」と賞賛するなど、彼の実力・潜在能力を高く評価した。 |
| CIMA、横須賀享、斎藤了、ドラゴン・キッド、アンソニー・W・森と共に新生ユニット『Typhoon』を立ち上げるも、2007年4月17日の後楽園大会でのなにわ式イルミネーションマッチに勝利し、終了後にタイフーンから離脱、鷹木信悟、サイバー・コング、YAMATOと共にNEWHAZARDを結成、新世代のユニットとして行動することとなった。 |
| 2007年6月1日から新日本プロレス「BESTOFTHESUPERJr.」へ参戦、初戦は金本浩二に敗北するも2戦目の外道戦で初白星を挙げ、内藤哲也戦でも白星を挙げた。 |
| 1か月後の7月10日の後楽園大会でCIMAの持つオープン・ザ・ドリームゲートへの挑戦権を懸けたワンナイトトーナメントに出場。 |
| 1回戦でタイフーンの斎藤了と対戦し熱戦の末勝利し、決勝戦進出を決めた。 |
| ところが斎藤了との試合中に顎を骨折し全治2か月の大怪我をしてしまい、結局決勝戦は棄権となり、同時にそれまで保持していたオープン・ザ・トライアングル・ゲートも返上した。 |
| 同年9月14日の後楽園大会で、YAMATOと共に10月12日の後楽園大会で復帰することをファンに報告。 |
| それに合わせて9月の海外遠征でYAMATOと共に一足早い復帰を飾った。 |
| 2008年2月24日の福井市体育館にて、鷹木信悟、サイバー・コングとともにオープン・ザ・トライアングル・ゲートを奪取。 |
| 第17代王者となった。 |
| ところが同年4月17日、同ユニットのメンバーであるYAMATOがマッスル・アウトローズに加入。 |
| YAMATOはマッスル・アウトローズとしてハルク達の持つオープン・ザ・トライアングル・ゲートに挑戦を表明。 |
| 5月14日に防衛戦が組まれ、その試合前に王者組によるダンスが披露されることとなった。 |
| そして5月14日、王者組は試合前に3人でダンスを披露する。 |
| しかしその直後、鷹木信悟、サイバー・コングがハルクを攻撃した。 |
| 鷹木はNEWHAZARDとマッスル・アウトローズを統合し、新ユニットREAL HAZARDとして活動することをアピール。 |
| オープン・ザ・トライアングル・ゲート新王者となった鷹木達REAL HAZARDのメンバーがハルクを痛めつける中、突如、土井成樹、吉野正人が乱入。 |
| ハルクを助け出し、二人が作った新ユニット、WORLD-1に勧誘。 |
| ハルクもこれに同意し、土井成樹、吉野正人、谷嵜なおき、m.c.KZ.そしてB×Bハルクの五人でWORLD-1として活動して行くこととなった。 |
| 6月29日の大阪大会にて、オープン・ザ・ドリームゲート挑戦者決定戦として鷹木信悟と対戦。 |
| しかし、結果は60分時間切れ引き分けとなった。 |
| この試合に感動した当時の王者であり、首の故障により欠場中だったCIMAはリング上で王座の返上を宣言。 |
| 7月27日の神戸大会にてオープン・ザ・ドリームゲート王座をかけ、再び鷹木と対戦するも、激闘の末敗戦。 |
| 2008年のKINGOFGATEでは2年連続で初戦が斎藤了だった。 |
| この年も勝利したが斎藤了が試合中に腕を負傷したためによるレフェリーストップだったため、両者の遺恨を深めることになった。 |
| そして2009年1月12日、再び斎藤とシングルで戦う。 |
| 敗れはしたものの互いの実力を認め合い、斎藤をWORLD-1に勧誘する。 |
| 1月18日には、斎藤から自らと横須賀享と共に3人で新ユニットを作ろうと逆に勧誘され動揺する。 |
| しかし2月15日に行われたツインゲート戦で斎藤が横須賀を裏切りREAL HAZARDに加入したため、勧誘の話は白紙になった(横須賀享はその後、Gammaらと新ユニット「WARRIORS-5」を結成したため)。 |
| 2010年5月からの鷹木の再三に渡る挑発がきっかけとなり入場パフォーマンスであるダンスを封印した。 |
| そして7月の神戸ワールド記念ホールにてカベジェラ戦が決まった(しかしDGUSAでは別のようである)。 |
| 2010年7月の神戸ワールドで鷹木に破れ、坊主になった。 |
| その後、新崎人生が参戦時にタッグパートナーで1度限りの本名「石原輝政」で同様のお遍路スタイルで登場した。 |
| 2011年4月14日の後楽園ホール大会での「オープン・ザ・トライアングルゲート選手権試合~トライアングルゲート・コントラ・解散~」マッチで、王者チームであったブラッド・ウォリアーズのCIMA、ドラゴン・キッド、リコシェ組に破れ、自身が所属していたWORLD-1が、解散となるが、同日に新オープン・ザ・ドリームゲート王者となった望月成晃の「2大ユニット構想」の呼びかけで、吉野正人らとともに、望月と共闘していく事となる。 |
| その後の、4月24日の博多スターレーン大会において、正式合体を表明する。 |
| 2011年のKINGOFGATEでは対抗する勢力であるBloodWARRIORSの土井成樹(1回戦)・斎藤了(2回戦)・CIMA(準決勝)・神田裕之(決勝)を破り、初優勝を果たす。 |
| 6月8日、後楽園ホールにて当時ツインゲート統一タッグ王者の斎藤・堀口組とスペシャルタッグマッチを組まれ、因縁の相手である鷹木と組む予定だったが、BloodWARRIORSに寝返る。 |
| 自身としては初のヒールターンになる。 |