| 中学生のころ、兄と見に行ったウルティモ・ドラゴンのプロレスを見て感動し、プロレスラーを目指す。 |
| 高校生の頃は部活にも入らず、トレーニングとバイトの日々を送る。 |
| 時にはバイトのために学校を休むことさえあった。 |
| 貯まりに貯まったアルバイト代であるが、単身メキシコへ渡りドス・カラスから指導を受けたことによって、ほぼゼロになってしまう。 |
| その後、電話で母の声を聞きホームシックにかかってしまい日本に帰国するが、その後もプロレスのためのバイトとトレーニングを3年間続ける(この時非公認ではあるが、プロのリングでの試合も経験)。 |
| また、メキシコ修行と前後してアマチュアプロレス団体最大手のJWA関西の門を叩きアマチュアプロレスデビュー。 |
| マスクマン「黄昏の暴風仮面ミッキー隼野Jr」として当時から非凡な才能を発揮していた。 |
| 元々「ミッキー隼野」選手はJWA関西にて一時代を築いたアマチュアプロレス界屈指の名選手だったため、そのJrの名を継いだことからもいかにJWA関西マットで期待されていた逸材であったかが分かる。 |
| なお、団体の意向により吉野正人選手同様にアマチュアプロレスJWA関西時代のキャリアについて公式に公表はされていない。 |
| その後ウルティモ・ドラゴンが立ち上げるというプロレススクール『闘龍門』の記事を見て一念発起。 |
| その一期生に応募。 |
| 一期生の枠4人のうち、すでに旗揚げ以前からウルティモ・ドラゴンと面識のあった黒木克昌(マグナムTOKYO)、藤井達樹(ドン・フジイ)、諏訪高広(SUWA)の3名が決定しており、最後の1人を決める際に、ウルティモ・ドラゴンが知人である三遊亭楽太郎の夫人に依頼して、選ばれたのがCIMAである。 |
| C-MAXを一期生のSUWA、ドン・フジイとともに結成(その後TARUが加入し、4人体制に)、最年少ながらリーダーとなった。 |
| CIMAは2000年に開催された第3回スーパーJカップにおいて、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れるが、準優勝となり、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめることとなった。 |
| その後、M2Kやイタリアン・コネクションと抗争を繰り返し、2004年闘龍門から独立したDRAGONGATEでも押しも押されもせぬエースとなっている。 |
| C-MAX解散後は後継軍団ともいえるブラッドジェネレーションを結成。 |
| ヒール集団として暴れまくるも、Gammaが加入してから徐々に確執が表面化し、ユニットは分裂。 |
| ROHのメンバーを加えて国際派BGを結成、その後BGを解消して、ドラゴン・キッドや横須賀享、斎藤了らとタイフーンを結成した。 |
| 2006年11月23日にGammaとの敗者髪切マッチに敗れ、丸坊主にされた。 |
| 2007年7月、神戸ワールド記念ホールで獣神サンダー・ライガーを破りオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取。 |
| 2007年10月8日、ツインメッセ静岡でストーカー市川を破り、オープン・ザ・お笑いゲート王座を奪取して2冠王(?)となった。 |
| 2007年9月22日、大田区大会で行われた、オープン・ザ・ドリームゲート戦(対土井成樹)で首を負傷し、救急車で運ばれる。 |
| しばらくはそれを感じさせないファイトを繰り広げていたが、2008年4月頃から首が悪化。 |
| それでも出場を続けたが、5月5日の名古屋大会を最後に欠場。 |
| 6月6日にリハビリマッチを行うも、半年以上欠場を余儀なくされた。 |
| 6月29日の大阪府立体育会館第2競技場大会にて、鷹木信悟とB×Bハルクがオープン・ザ・ドリームゲート王座次期挑戦者決定戦にて60分時間切れドロー。 |
| これによりオープン・ザ・ドリームゲート王座返上を決意した。 |
| 2008年12月28日の福岡国際センター大会で復帰。 |
| オープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座戦で獣神サンダー・ライガーと組んで王者組のYAMATO・サイバー・コング組に挑戦するもYAMATOのスリーパー・ホールドにより失神、TKO負けを喫した(同日所属ユニットTyphoonも解散)。 |
| 2009年1月には音信不通となり、ヨーロッパで再復帰に向けて極秘にトレーニングを積んでいたらしい。 |
| その間、ブログや週刊プロレスのコラム等も休止状態となっていた。 |
| また東京スポーツの一面では、失踪してるという記事が取り上げられていたが、現地2月10日にアメリカのWWEのトライアウトを受験し、シバのリングネームでSmackDown!のダーク・マッチで、ジェイミー・ノーブルと対戦したが敗れた。 |
| その後、当初から復帰予定であった3月1日DRAGONGATEの大阪府立体育会館第2競技場大会で、Gammaに呼び込まれリングに登場。 |
| 新ユニットWARRIORS-5の結成と3月5日後楽園ホール大会からの完全復活を宣言。 |
| 3月22日、両国国技館大会で吉野正人を破り、自身初のオープン・ザ・ブレイブゲート王座を獲得した。 |
| 2010年6月18日、大阪プロレスとの全面対抗戦でビリーケン・キッドを破り、大阪プロレス王座を奪取した。 |