| しかしLTTEのオリジナル・メンバーである父はまもなく政府に身を追われるようになり、彼は家族と生き別れになる。 |
| 内戦を通じてマヤ達一家は多くの親戚や友人をなくし、マヤが11歳になる頃には母はマヤ達三人の子供を連れ難民としてイングランドに移住する。 |
| そこでマヤはパブリック・エナミーなどのヒップホップ、およびダンスホールレゲエといったクラブミュージックに初めて触れる。 |
| その後、マヤは著名なデザイナーを多数輩出している事で有名なセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインに入学。 |
| 在学中にはファインアートと映画を専攻し高い評価を受けていたため、ヴィジュアル・アーティストとして将来有望だった。 |
| 卒業後、マヤはエラスティカのセカンドアルバムのジャケットを製作し、2001年の全米ツアーに映像ディレクターとして同行する。 |
| その時に前座を務めていたカナダのエレクトロ・ヒップホッパー、ピーチズのステージを見て感動し、音楽の道に進むことを決意する。 |
| まったくの自己流で楽曲の制作をはじめ、2003年秋にインディーズレーベルからアナログで「Galang」をリリース。 |
| 500枚の限定生産だったが、ロンドンのDJ達に人気となり、晴れてXLレコーディングスとの契約にこぎつけ、2004年には「Sunshowers」で正式なデビューを果たす。 |
| その後フロリダのDJ、ディプロと共に、ミックステープ「PiracyFundsTerrorism」を2004年冬にリリースする。 |
| そして、2005年にはついにファーストアルバム『Arular』をリリース。 |
| このアルバムは当時としては非常に画期的であり、その後の音楽シーンに多大な影響を与えたと言われる。 |
| マヤの才能に惹かれたミッシー・エリオットは、彼女の6thアルバム『TheCookBook』に収録されている「BadMan」にてコラボーレーションを実現している。 |
| 2007年、セカンドアルバム『Kala』をリリース。 |
| ビザの関係や自身の意向により大物プロデューサー勢からの打診を断って製作。 |
| プロデューサーはSwitch、Blaqstarr、ディプロ、ティンバランド、Morganicsとマヤ自身である。 |
| ローリング・ストーン誌の評価では2007年のベストアルバムと絶賛された。 |
| このアルバムには、ポルトガルのクドゥーロ・バンド、ブラカ・ソン・システマと共演した「サウンド・オブ・クドゥル」のスペシャル・エディションが収録されている。 |
| 2009年1月に出産。 |
| 因みに、彼女が2002年に開いた美術家としての最初の個展では、俳優のジュード・ロウが全て買い求めた。 |
| それによって得た豊富な資金でセント・ヴィンセント島に旅行し、ダンスホールレゲエにインスパイアされたという。 |
| それが翌年の“Galang”への大きなキッカケとなったという。 |