| 1995年12月27日、PWCでの将軍KYワカマツ戦でデビュー。 |
| その後、PWCを離脱しDDTプロレスリングの旗揚げに参加、覆面レスラーのスペル・カカオとして活動していた。 |
| その後NOSAWAのリングネームで、メキシコなどでMAZADA、TAKEMURAと共に「東京愚連隊」として活躍。 |
| その後、TNAを経て全日本プロレスに参戦。 |
| 新日本プロレスにも特別参戦する。 |
| 2004年10月31日、当時世界ジュニアヘビー級王者だったカズ・ハヤシにベルト挑戦を迫ったが、「NOSAWA?(挑戦者として)論外だ」と言われ断られてしまう。 |
| しかしNOSAWAはこれを逆手に取り、11月21日よりリングネームをNOSAWA論外に改名、「次の挑戦者はNOSAWA論外だ、と確かに言った」と食い下がり、ついに12月5日世界ジュニアヘビー級選手権試合に挑戦する。 |
| 敗れはしたものの健闘し、カズ・ハヤシに「挑戦者として相応しい相手だった」と言わしめた。 |
| 2005年7月26日の代々木大会の第0試合でMAZADAとの「敗者全日本追放マッチ」に敗れて全日本プロレスからの追放が決定。 |
| 自身が参戦できないため、代わりに同年8月7日の入間大会以降スペース・論・ウルフなる覆面レスラーを送り込む。 |
| だが、スペース・論・ウルフについては。 |
| マスクに「論」の文字が刻まれていた。 |
| 有料モバイルサイト「プロレス/格闘技DX」レスラーダイアリー木曜日の木原文人リングアナの「木原おやじの裏話」内にて、論ウルフのことを論●と呼んだ。 |
| その後小島聡が自身のblogにて、つい「ドライブインで菊タローと論外が…」と掲載した。 |
| 2005年12月1日の全日盛岡大会第1試合終了後のAKIRAがマイクで「近藤の前に論外が入ったけど…」と発言した。 |
| などから、「NOSAWA論外本人じゃないの?」という声も多く聞かれていた。 |
| その後、論ウルフは2005年12月5日にAKIRAとの世界ジュニアヘビー級王者次期挑戦者決定戦に敗れ、自らマスクを脱ぎ正体が論外であることが判明、論ウルフとしての活動を終了(ただし2006年2月11日の佐々木健介20周年記念興行で復活)し、再びNOSAWA論外のリングネームでの活動を開始した。 |
| 2006年6月10日の全日本プロレス武藤祭で鈴木みのるのセコンドにつき、数度にわたり追い払われるも試合後にバックステージで謎の言葉をささやき、チーム結成を了承された。 |
| 以後、東京愚連隊を含めみのると行動を共にしていたが、論外だけ練習をサボった、試合中に教えていない逆十字を使ったなどで酷い目に遭っては…と、同じことの繰り返しのループでファンのみならずみのるをも楽しませていた。 |
| しかし、同年の世界最強タッグ決定リーグ戦でみのるとタッグを組んだ際は成績は揮わなかったものの、最後はグロッキー状態になったNOSAWAをみのるが背負って退場するシーンが見られるなど、少なからず師弟の絆は出来ていたようである。 |
| 全日本プロレスにおいては2007年2月17日の「プロレスLOVEin両国」にて、TAKAみちのく、カズ・ハヤシらと組むことを宣言し「アッチのほうへ行く」と海外への離脱を匂わせる発言をしたが、結局はTAKA、ハヤシと「メキシコ・アミーゴス」なるルチャドールのギミックのユニットを結成、エル・ノサワ・メンドーサなるリングネームでの活動を繰り広げた。 |
| 2007年12月16日の「全日本プロレス2007ファン感謝デー」にてルチャギミックユニット「メキシコ・アミーゴスDX」を解散した。 |
| 2008年1月2日の新春シャイニングシリーズ開幕戦で、TAKA、ハヤシを裏切り、MAZADAと結託して「東京愚連隊」の復活を宣言した。 |
| 同年4月には師匠である鈴木みのるが合流、「GURENTAI」と改めての活動を行っていた。 |
| 2009年1月3日にはみのるをパートナーに迎えアジアタッグ王座を獲得。 |
| 本人曰く「日本で初のメジャータイトル奪取」であり、感無量のコメントを出していた。 |
| 2011年2月20日、後述の事件を起こし、新日本プロレスへの無期限出場停止処分を受ける。 |
| 東京愚連隊の活動も無期限停止へ(4月に予定されていた自主興業の中止も発表された)。 |
| 6月25日、鈴木みのる主催の「パイルドライバー・チャリティー・プロジェクト」興業の、事前発表の全試合終了後、鈴木に呼びかけられるかたちでリングに上げられ「(プロレス界で迷惑をかけた人達に)ケジメをつけろ」と要求されて、東京愚連隊の同士KIKUZAWA、全日本プロレスのユニット「GURENTAI」で、一時期行動を共にした高山善廣、そして鈴木みのるの3人と「3人掛け」でシングルマッチを戦う(3戦とも敗北)。 |
| 鈴木との試合後、鈴木がマイクを取り「コイツ、プロレス界に戻ってきてもいいか?」と観客に問いかけると、観客は拍手で答え、NOSAWAのプロレス界復帰を支持した週刊プロレス2011年7月13日号、P.101より。 |