| イリノイ州の同じ大学に通っていたニール、アラン、ゲイリーの3人が中心になり1968年に結成。 |
| ファースト・アルバム『REOスピードワゴン』でデビュー。 |
| しかし、その直後、ヴォーカルのテリー・ルトゥレルが脱退。 |
| 2代目のヴォーカルとしてケヴィン・クローニンが加入した。 |
| 加入のいきさつについては次の様なエピソードがある。 |
| “もともとはバンドのメンバーを斡旋する仲介業者としての仕事をシカゴでしていたケヴィン。 |
| そんな中、テリーが抜けて困っていたゲイリーが「新しいヴォーカルを探してくれ。 |
| 」とケヴィンの勤める会社に依頼したのだが、ゲイリーは何故か自分達のバンド名を伏せたままでケヴィンに教えようとはしなかった。 |
| 困ったケヴィンは一計を案じ、ゲイリーに「オレのアパートに来れば、お探しのヴォーカリストに合わせてやる。 |
| 」と連絡しゲイリーを誘い出した(もちろん、ゲイリーを誘い出す為の連絡なのでケヴィンはヴォーカリストを見つけていない)。 |
| そしてケヴィンの部屋にゲイリーが入ってくるなり、ケヴィンはエルトン・ジョンの曲を熱唱し出した。 |
| 結果、その歌声を気に入ったゲイリーがケヴィンに「ヴォーカルになってくれ。 |
| 」と依頼し、ケヴィンはこれを快諾。 |
| こうしてケヴィン・クローニンは「歌が上手くて、曲が書けるヴォーカル」としてバンドに迎え入れられる。 |
| 新メンバーのケヴィンを迎え、2枚目のアルバム『REO/T.W.O.』をこの年の12月にリリース。 |
| 3枚目のアルバム『ライディング・ストーム』のレコーディング中、プロデューサーのビル・ハルヴァーソンの妻の真っ白なカーペットに新メンバーのケヴィンが赤ワインをこぼしてしまい、その妻が激怒。 |
| この問題を収拾する為に他の4人のメンバーは数日間の話し合いを持った。 |
| 結果、ケヴィンをクビにし、新しいヴォーカルを迎えるという結論に達した。 |
| ケヴィンは、これにブチ切れ、クビを宣告される前に自らバンドを脱退した。 |
| 既に刷られていたアルバム・ジャケットからケヴィンの姿は綺麗に消された。 |
| 残されたメンバーは3代目のヴォーカル、マイク・マーフィーを加入させ、ヴォーカルのレコーディングをし直す事になった。 |
| 様々なトラブルの末、3枚目のアルバム『ライディング・ストーム』リリース、全米第171位。 |
| 同年11月、4枚目のアルバム『ロスト・イン・ア・ドリーム』リリース、全米第98位。 |
| このアルバムの表題曲でもある「ロスト・イン・ア・ドリーム」はマイクと後に加入する、ブルース・ホールが共作している。 |
| 5枚目のアルバム『ジス・タイム・ウィ・ミーン・イット』リリース、全米第74位。 |
| アルバムリリース後に3代目ボーカルのマイク・マーフィーが脱退。 |
| バンドを離れていたケヴィン・クローニンが「キープ・プッシン」という曲のデモ・テープをバンドに送る。 |
| これがきっかけとなりケヴィンはバンドに復帰する。 |
| そして、このレコーディングで生まれたのが『REO』というアルバムで同年6月発売、全米第159位。 |
| この作品からケヴィンがバンドへ正式に復帰する。 |
| その後バンドは10ヶ月間のツアーを行なう。 |
| 5月、7作目にして初のライヴアルバム『ライヴ~嵐の中へ』リリース、全米第72位。 |
| このアルバムは2枚組ライヴアルバムとして初のゴールドディスクを獲得する。 |
| 先に挙げたツアー終了と同時にベーシストのグレッグが脱退。 |
| 2代目ベーシスト、ブルース・ホールが加入。 |
| これによりニール、ゲイリー、アラン、ケヴィン、ブルースというバンド黄金時代の役者が全て揃う。 |
| 4月、8枚目のアルバム『ツナ・フィッシュ』リリース、全米第29位。 |
| この中の1曲「ロール・ウィズ・ザ・チェンジズ」と「出発の時」がシングルとしてもヒット。 |
| 8月、9枚目のアルバム『ナイン・ライヴス』リリース、全米第33位。 |
| 初のベストアルバム『ディケイド・オブ・ロックンロール1970~1980』リリース、全米第55位。 |
| バンドとしての知名度は徐々に上昇していたが、この時期、メンバーの生活は破綻寸前だった。 |
| 次のアルバム『禁じられた夜』からの先行シングルとして「キープ・オン・ラヴィング・ユー」がリリースされる。 |
| 12月、11枚目のアルバム『禁じられた夜』リリース。 |
| アルバム『禁じられた夜』が、それまでビルボードのアルバムチャートで8週連続全米No.1を獲得していたジョン・レノンの(結果的に遺作になってしまった)『ダブル・ファンタジー』をNo.1から叩き落した。 |
| その後、15週連続全米No.1を獲得し、売り上げも最終的には1000万枚を突破した。 |
| そして、この年の年間アルバムチャートでは『ダブル・ファンタジー』を抑えて年間第1位を獲得した。 |
| アルバムからの先行シングルとなった「キープ・オン・ラヴィング・ユー」は同年3月21日付のビルボード・シングルチャートで全米No.1を獲得した。 |
| そして、この年の年間シングルチャート第10位にもなった。 |
| 7月、12枚目のアルバム『グッド・トラブル』リリース、全米第7位。 |
| 11月、13枚目のアルバム『ホイールズ・アー・ターニン』で活動再開、全米第7位。 |
| 先に挙げたアルバムからシングルカットされた「涙のフィーリング」が同年3月9日付~3月23日付のビルボード・シングルチャートで3週連続第1位を獲得。 |
| このミュージック・ビデオは「一人の男が生まれ、成長、そして結婚し子供が生まれ、さらにその子供が独立。 |
| 同年7月13日に行なわれたライヴエイド(フィラデルフィア・JFKスタジアム)に出演。 |
| 「ロール~」では同じく出演していたビーチ・ボーイズや他の出演者がコーラスを担当している。 |
| 2月、黄金期のメンバーでレコーディングされた最後のオリジナルアルバム『人生はロックンロール』(通算15枚目)をリリース、全米第28位。 |
| 元サンタナのグラハム・リアー加入。 |
| バンドは後任のギタリストとして、元プレイヤーのマイルス・ジョセフを迎えた。 |
| 元ワン・チャンのブライアン・ヒットと元テッド・ニュージェント・バンドのデイヴ・アマト、そしてフリーのキーボード奏者のジェシー・ハームスが加入。 |
| 10月、3枚目のベスト・アルバム『ディケイド1981~1991』(通算18枚目)をリリースしバンドは解散。 |
| それまでの楽曲の中からバラード曲(新曲2曲を含む)のみを集めた、5枚目のベストアルバム『バラード・ベスト』(通算23枚目)をリリース。 |