| そこから、remoteは『赤い貴公子』とも言われていた。 |
| 1989年始め頃には既にホコ天で一番の人気を得たバンドとなり、多勢のファン、追っかけが付くようにもなる。 |
| 満を持したような形で同年3月18日放送の『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)に出場、『NeverBe』を演奏、在宅審査員賞を受賞(この時にもファン約50人がイカ天が放送されるスタジオのある日比谷シャンテ前まで追いかけてきていたとのこと)。 |
| この日、在宅審査員からのFAXで「ボーカルの目つきが良かった」との指摘にボーカル・池田は「当然ですよ」と返し、その後のイカ天の取材でも、「remote現象(げんしょう)と言われてますが…」とマイクを向けた相原勇に対し「いや、“げんしょう”じゃない。 |
| “シンドローム”と呼んでもらいたい」と即座に突っ込んだことでも、態度がでかい、ふてぶてしいと言われたが、その態度がまた魅力のひとつと言われ『リモートハリケーン』とも言われる人気を集めていった。 |
| なお、視聴者からのはがき投票で順位を決めるイカ天内のコーナー『アマチュアバンドベスト10』では、1989年4月22日では1位になったものの、翌週4月29日から8月12日まで14週連続で2位(4月29日から7月1日までは10週連続でKUSU KUSU、続く7月22日から8月12日までは4週連続でA-CHIEFが1位)という記録がある。 |
| その後、活動拠点であるホコ天に余りにも多くのファンが殺到するようになったため、1989年5月28日のライヴをもってホコ天を“卒業”。 |
| その後はライブハウス、ロック喫茶に拠点を移す。 |
| 1990年にホリプロと契約、同年7月25日にワーナーパイオニアからシングル『NO!』をリリースし、メジャーデビュー。 |
| この後シングル5枚、アルバム3枚をリリース。 |
| 1992年7月解散。 |
| その後池田貴族はミュージシャン、作家、そして霊感タレントとしても活動していたが1999年12月25日に死去。 |
| HIRO(中博端)は音楽活動を離れる。 |
| その他のメンバーはバンド、ソロ活動、サポートミュージシャンなど現在でも音楽活動を続けている。 |