| ;1999年デビュー~ファーストツアー。 |
| 黒夢の無期限活動停止から数ヵ月後、SADSが始動する。 |
| 結成メンバーは清春、坂下たけとも、田沼徹浩、牟田昌広の4人。 |
| 始動するや否や、いきなりUKツアー(全4公演)を敢行する。 |
| 日本での正式なデビュー前であり異例のことであった。 |
| このUKツアーを期に、ベースの田沼徹浩が脱退する。 |
| 理由は「体力上の問題」とされている。 |
| 全公演終了後帰国し、「DEMONSTRATIONCLUBGIG」(全国6会場6公演)を敢行する。 |
| 日本国内ではSADSの初のお披露目となる。 |
| ちなみに1本目の最後では清春本人が客席にダイブを行った。 |
| 7月に「TOKYO」(オリコン初登場2位)のリリースでメジャーデビューを果たし、1stアルバム『SADBLOODROCK'N'ROLL』(オリコン初登場3位)を引っ提げ、初の全国ツアー「THEFIRSTTOUR"SmashItUp"」(全国27会場29公演)に突入する。 |
| なお、サポートベーシストとして山根浩成が加わる。 |
| このツアーでは坂下らによる「バットマンのテーマ(ザ・ジャムのカバーアレンジで演奏)」や、「Liberation」の原型となる「Go!」などが披露されている。 |
| だが、このツアーによって清春が黒夢時代から抱いていたバンドに対する一種の憧れは決定的に崩れ去り、失望の大きいツアーとなった。 |
| (「活動停止~解散」の項目参照)。 |
| ;2000年2度のBATTLEROCKERSツアー。 |
| この年はSADSにとって、年末カウントダウンライブの「21stCenturyNIGHTMARE"」までライブ中心の一年となる。 |
| 限定シングル「赤裸々」(オリコン初登場2位)をリリースし、2000年前半は「BattleRockers"PART1」(全国23会場29公演)、「FANCLUB「RUBBERSOLE」ONLYLIVE」(東京・大阪・名古屋・3公演)、「TOKYO7DAYSSPECIALSTANDINGGIG」(都内7会場7公演)をこなす。 |
| この期間中にリリースした4thシングル「忘却の空」(オリコン初登場2位)が、TBSにて放映されたテレビドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の主題歌となる。 |
| 同ドラマの視聴率が平均14.9パーセントと好調だったこともあり、結果的にSADSの知名度を一気に高ると共に、代表曲とのイメージがすっかり定着した。 |
| 「忘却の空」のヒットの勢いに乗って、2ndアルバム『BABYLON』でオリコン初登場1位を獲得する。 |
| この時期がSADSにとってセールス上のピークであったと言える。 |
| 2000年後半から「BATTLEROCKERSPART2~WELCOMETOMYBABYLON~」(全国46会場50公演)(以下、バビロンツアー)が行われた。 |
| 同ツアーはこれまでと違いホール公演であり、そのステージではお経のSEを流し、清春がお香を焚くパフォーマンスなどこれまでとは打って変わってダークな色合いが濃くなってくる。 |
| また同ツアーには多大な費用を要したことで有名である。 |
| ステージ上で孵化する卵や、特に最終公演の大阪城ホールで清春が十字架に張り付けられながら歌い、曲中の電気処刑やSMショーなどのパフォーマンスをおこなった。 |
| さらに、大阪公演ではノリの悪いオーディエンスに愛想を尽かし、アンコール半ばで公演を終了するなどバンドの雰囲気はどん底であった。 |
| バビロンツアーの明るい材料と言えば、2000年初めのツアーからサポートとして参加していたベースの小林勝が追加公演の大阪城ホールを以って、正式メンバーとして加入することが発表されたことだろう。 |
| これまで交代を繰り返してきたベースがようやく固まることになる。 |
| 余談だが、『BABYLON』リリース時に一定の売り上げ枚数を越えた場合、SADSの広告宣伝料を増加する条件を東芝EMIサイドから提示されていた。 |
| 結果的に、あと一歩のところで条件枚数に到達できなかったことを『清春35X』でのインタビューで語られている。 |
| また、この年11月にリリースしたシングル「NIGHTMARE」は映画『漂流街』のオープニング、エンディング双方の主題歌となった(『漂流街』には清春に役者として出演のオファーもきていた)。 |
| ;2001年満園加入~ヘヴィ・ロックへの傾斜。 |
| 2001年3月31日付けを以って、「方向性の違い」という理由で牟田昌広の脱退が発表される。 |
| 後任にはかつて黒夢のサポートメンバーであった満園英二を迎える。 |
| こうして、バビロンツアーの「FORYOU」や「Darknessismyspiralmind」で見せたダークさに、満園の加入でヘヴィさが加わった。 |
| バンドとして新たな船出を迎えたSADSは、同時に東芝EMIからBMGJAPANへレコード会社を移籍した。 |
| レコーディングを終え、米国の有名エンジニアを頼ってミックスダウン作業のためロサンゼルスへ旅立った。 |
| ところが、このロサンゼルス遠征は失敗に終わる。 |
| 清春によると前出のエンジニアのミックスは「日本のロックを舐めてる」との事で、結局日本に戻って旧知のエンジニアに依頼することになる(この時のミックスは『THEROSEGODGAVEME(LA MIXVERSION)』で聴く事が出来る)。 |
| 結果的に、このロサンゼルスの一件で数千万円の損失を発生させることとなった。 |
| そうしたトラブルを乗り越え、シングル「PORNOSTAR」(オリコン初登場5位)、「APPETIZING4SONGSEP」(オリコン初登場9位)、そして3rdアルバム『THEROSEGODGAVEME』(オリコン初登場5位)をリリースし、ツアー「"THESTARSTRIP"」(シークレットライブ2本含め、全国31会場32公演)に突入する。 |
| 同ツアーの栃木公演では、清春と昵懇の間柄であるT.M.Revolutionの西川貴教が登場するサプライズがあった。 |
| また最終公演「"THESTARSTRIP"FINAL」では日本武道館での公演を果たす。 |
| THE MODS、矢沢永吉のトリビュートアルバムにも参加するなどバンドとして充実した一年であった。 |
| なお、『THEROSEGODGAVEME』に収録されている「SeeAPinkThinCellopfane」のプロモーションビデオは当時お蔵入りになっていたが、『リクープ』発売の際に「未発表PV」として収められている。 |
| ;2002年インディーズ~131本のロングツアー。 |
| 2002年は、風雲急を告げる事態で幕を開ける。 |
| 前年に契約を交わしたBMGJAPANとの契約を解消した。 |
| このため、4thアルバム『“”(untitled)』はライブ会場限定販売とFC通信販売のみという、実質インディーズバンドとしての活動を余儀なくされる。 |
| 清春は、同アルバムを正規の流通網で販売しようと試みたが、同年のロングツアーに忙殺されてそれが出来なかったと後のインタビューで語っている。 |
| 2002年のツアー「TOURGOOD-BYE2002!!"BEAUTIFULDAYS"FORHEAVYPETTIING&FORENTERTAINMENT」は、2002年4月からの12月までライブハウス131公演(HEAVYPETTIING)と翌年1月2月のホール10公演(ENTERTAINMENT)まで続く、全141公演(沖縄を除く46都道府県)という過去に例がないほどのロングツアーが組まれた。 |
| 同ツアーの目的は、「ライブの本数をこなすながらバンドとしての音を固めていく」(清春談)、「3人がSADSに居ることが相応しいかどうかが問われる」(坂下談)と、それぞれ目的があった。 |
| 快調に進むかに思われたが、ツアー序盤から早くもメンバーの技術的な問題が表面化する。 |
| 小林勝は「バンドの問題点について敢えて何も言わなかったが、それは失敗だった」と悔いていた。 |
| 注目すべき点は、この年から清春がアコースティックギターを本格的に始めた事である。 |
| 「Everything」や「Masquerade」、「憂鬱という名の夢」といった曲などでギターを弾きながら歌い始めている。 |
| バンド内の問題やライブのマンネリ化に対し、日々ギターに触れることでそれを忘れることが出来、清春にとって癒しになっていたとDVD『131days』内のインタビューで語った。 |
| ツアーも中盤に差し掛かった頃、満園が泥酔し、腕枕をしたまま眠りに落ちてしまい、左腕神経麻痺を発症する。 |
| 公演日程のキャンセル・振り替えを余儀なくされる(満園の一件で、当初予定されていた翌年の10公演は中止となる)。 |
| 当初は短期間で回復が見込まれると思われたが回復の目途が立たない為、急遽サポートメンバーとして舛岡圭司を迎えてツアーを再開する。 |
| 彼のスタイルは、豪快でパワフルな満園のそれとは対照的であり、彼から何かを学び得ようと、敢えて満園とタイプの異なるサポートメンバーを加えた背景があった。 |
| 満園が復帰するまでの約60本のライブを「外の庭、外の景色を観ていた」と清春は表現している。 |
| また、満園の怪我による振り替え公演で数回行ったアコースティックライブを通して、清春自身は楽器としてのヴォーカルではない、歌を歌うことについて改めて考えさせられる。 |
| この時期を境に、「NOTHING」や「Sherry」といったミドルテンポの曲の心地よさに気づくことになる。 |
| 舛岡の加入はバンド内に吹き込んだ新しい風であったが、多くのライブをこなす内に段々と慣れ、惰性的なライブが再び訪れる。 |
| そんなバンドの雰囲気や一向に改善が見られない演奏、何となく観ているオーディエンス、スタッフに対する清春の積もりに積もった不満が爆発する。 |
| 9月29日の新宿LIQUIDROOM(当時)公演中盤、ステージ上にあった照明器具が倒れ、清春にぶつかる。 |
| さらに本編途中でセットリストを変更し、本編最後では自らドラムセットに倒れこみ、器材を破壊しアンコールを行えない状態となった。 |
| 5thアルバム『13』のレコーディングが始まる。 |
| 結局、今回のレコーディングで満園が参加した楽曲は、「Sherry」と後に9thシングルとして発売される「Masquerade」のイントロ部分に留まった。 |
| なお、同シングルのカップリング曲の「楽園」では小林が打ち込みを行い、「Everything」のアコースティックバージョンを収録することで急場をしのいでいる。 |
| これは、リリース→ツアーという一般的な流れではなく、順序を逆転させることでツアーの成果をフィードバックしたアルバムの制作を意図していた。 |
| ツアーに先駆けて「REPLAY」と題して行われたライブでは、これまでの4年間を振り返るかのようなセットリストが組まれたライブであった。 |
| ツアーでは清春が予告していたようにライブで披露された曲の半数以上は下記の未発表曲であり、特に本編では序盤から中盤までの3分の2以上は新曲で占められていた。 |
| 2009年の黒夢のラストライブでサポートを務めたK-A-Z(ギター)、GO(ドラムス)と、清春のサポートメンバーであったクボタケイスケ(ベース)が新たに加入した。 |
| 5月1日に日本武道館でライブを行うこと、約7年ぶりとなるアルバムが7月7日に発売されること、2月9日にファンクラブ「VIP」がオープンすることが発表された。 |
| 6月30日に配信シングル「GOTHICCIRCUS」だけを配信する予定が、手違いにより『THE7DEADLYSINS』収録曲を全曲を配信してしまう、着うたフルでの配信のはずが着うたのみの配信になるという事件が起こった。 |
| 7月3日の深夜にツイッターでavexの松浦勝人代表取締役社長が「待望のアルバムを楽しみにして頂いていた皆様にとても残念な思いをさせてしまった事。 |
| その後avexの清春オフィシャルHPにGOTHICCIRCUSの配信に対するお詫びと「GOTHICCIRCUS」『THE7DEADLYSINS』の楽曲配信が着うたフルで7月7日から配信されるということが発表された。 |