| 1979年、日本のガールズ・パンク・バンドの先駆けであったBOYSBOYSのベーシスト小嶋さちほを中心に結成。 |
| 新宿ロフトで初ライブを行う。 |
| 1980年3月、小嶋が発行していたミニコミ「チェンジ2000」に出したメンバー募集に応募してきた高橋佐代子がボーカルとして加入する。 |
| 当時高橋は中学生であった。 |
| 同年12月、インディーズ・レーベルのジャンク・コネクションより1st.シングル『ASHU-RA』をリリース。 |
| 1981年、ソノシート『ZELDA』をリリース。 |
| メジャーデビューは1982年8月25日、日本フォノグラム後のマーキュリー・ミュージックエンタテインメント。 |
| 現在はユニバーサルミュージックK.K.に吸収よりアルバム『ZELDA』とシングル『ミラージュ・ラヴァー』を同時リリース。 |
| プロデュースはLIZARDのモモヨであった。 |
| なお、当時のメンバーは小嶋、高橋と鈴木洋子(ギター)、野沢久仁子(ドラム)の四人。 |
| 1983年に、ギターが鈴木から石原富紀江、ドラムが野沢から小澤亜子に交替。 |
| 石原はハードロック出身であるにも関わらず、テクニック面では「ヘタウマ」であったが、これが当時のZELDAの雰囲気に適合した。 |
| また石原のハーモナイザーを使用した独特のキラキラした音色と、インド音階を上手に組み合わせた中近東的なソロは、現在でも革新的である(ライブアルバム「DancingDays」で堪能できる)。 |
| そしてジャパンのスティーヴ・ジャンセンを師と仰ぐ(雑誌「キーボードスペシャル」創刊号より)、小澤は、古今のロックバンドのドラマーには珍しく16ビートを基調とした端正かつタイトなドラミングであり、シーケンサーの操作やシンセサイザーの音色作りにも習熟していた。 |
| そして、ムーンライダーズの白井良明をプロデューサーに、ゲストに鈴木慶一を迎えて2nd.アルバム『CARNAVAL』をリリース。 |
| ZELDAはニューウェイヴバンドとして不動の地位となった。 |
| 1984年には小嶋、高橋の二人が別ユニット『招き猫カゲキ団』としても活動、同年9月、アルバム『第一歌曲集』をリリース。 |
| アコースティックの脱力系ユニットであり、聞き手に緊張を強いた当時のZELDAとは正反対の音楽であった。 |
| 1985年に所属レコード会社をCBSソニー(ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍。 |
| 前作同様、白井良明プロデュースの3rd.アルバム『空色帽子の日』をリリース。 |
| 1986年公開の映画『ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け』に、メンバー全員が出演(バンド・ZELDAとして)。 |
| 1987年、元四人囃子の佐久間正英をプロデューサーに迎えて4th.アルバム『C-ROCKWORK』をリリース。 |
| 1988年頃より、小嶋がファンク/ブラックミュージックに傾倒。 |
| もともと16ビートを叩いていたドラムの小澤はすんなり対応できたが、8ビートのハードロック出身であり、「ヘタウマ」であった石原は適性を活かせないようであった。 |
| (ライヴではファンク特有の16ビートカッティングに苦渋する石原の姿が見られた)。 |
| それにより新たに生まれ変わったZELDAの5th.アルバム『SHOUTSISTERSHOUT』をリリース。 |
| 1989年、前作以上にファンク/ブラックミュージック色を強めた6th.アルバム『D.R.O.P.』をリリース。 |
| 1990年、ギターの石原が脱退。 |
| これより約1年間活動を休止、この間に所属レコード会社がavex系のレーベル、cuttingedgeに移る。 |
| 1991年、ギタリストとして本村直美が加入。 |
| 世界の各種音楽要素をギターにより表現できる本村の加入により、ZELDAはワールドミュージックを基調とした伸び伸びした音楽に一転した。 |
| 1992年、ジャマイカ録音の7th.アルバム『LOVELIVELIFE』をリリース。 |
| 1993年、プロデュースにサンセッツの井上ケン一、ゲストにスライ・ダンバー、イエローマン、オーガスタス・パブロなどを迎えたジャマイカ録音の8th.アルバム『FULLMOONPUJAH』をリリース。 |
| 1996年、SAYOKO(高橋)のソロ・アルバムや小嶋の沖縄生活などが反映された9th.アルバム『虹色のあわ』をリリースしたが、その後、解散を(活動を継続しないことを)発表。 |