| 1992年バンドとしての活動を再開、6月、5thアルバム「YELLOWPOP」を発売。 |
| 歌メロを重視したポップス調の作品が増え、特に戸城の作品の作風の変化が話題となる。 |
| しかし、アルバムの制作段階でメンバー間の音楽性のずれが表面化していた。 |
| 新しい音楽に挑戦し、ソングライターとしての更なる成長を志していた森重と戸城は、あくまでトラディショナルなロックンロールにこだわる松尾との活動に限界を感じており、同時に松尾も「YELLOWPOP」で提示された新たなZIGGYの方向性は自らの音楽的嗜好とは相容れないものと感じ、脱退を決意する。 |
| また、森重は大山との音楽的姿勢の相違も感じ、結局、「YELLOWPOP」発売に伴うツアー「COMEONEVERYBODY」終了後に、松尾と大山の脱退が発表された。 |
| ロッキンf1992年12月号2人の脱退に関して各雑誌社に送られた森重のメッセージは以下の通りである。 |
| 「(略)約1年半という活動休止期間を経た我々の活動には、残念ながら終始どこかかみ合わない歯車のような、しっくりといかない感じがつきまとっており、各々のメンバーがその不確かな”ずれ”を違った形で捉えていたように思います。 |
| (略)バンドという一つの共同体を中心に考えるのであれば、バンドの方向性が最重要視されなければなりません。 |
| そのために個人的には納得のいかないこともあるはずです。 |
| (略)ただ唯一解って頂きたい点は、音楽は我々にとって最も愛するべきもので、人生そのものと言っても過言ではないということです。 |
| その音楽に、より誠実であるために各々が、より自分を生かせる場所で活動するべきだと判断したというところです。 |
| (略)親愛なるファンならびに関係者の皆様へ」(森重樹一)ロッキンf1992年11月号12月、ライヴビデオ「COMEONEVERYBODY」、ファン投票により選曲されたベストアルバム「ORDER-MADE~15NUMBERSSELECTION~」が発売され、これがデビュー時の4人での最後の作品となった。 |
| 森重と戸城はユニットの形態でZIGGYとしての活動を継続していくこととなった。 |
| 1993年7月、森重、戸城のユニットになってから初のアルバム「ZOO&RUBY」を発売。 |
| 前作「YELLOWPOP」で提示したビートルズの影響を強く受けたポップス志向のサウンドをアルバム全面で展開する。 |
| また、ライヴを想定しない作品制作重視の活動方針も模索しており、ライヴの本数がこの時期極端に減少する。 |
| 1994年6月、シングル「STAYGOLD」、7月、7thアルバム「BLOND007」発売。 |
| 前作とは一転、ロック路線に回帰し、ダウンチューニングや速弾きなど今までにない方法が導入された、ハードロックやヘヴィメタルの影響の強い作品も目立った。 |
| 8月から9月にかけては結成10周年記念として、ツアー「10thANNIVERSARYTOUR」を行う。 |
| 戸城が横関敦等と結成したの別バンドLANCEOFTHRILLもこの年初のアルバムを発売。 |
| 1995年3月、シングル「Jealousy〜ジェラシー〜」発売。 |
| 10月、ライヴでのサポートドラマーを務めてきた宮脇”JOE”知史(現44MAGNUM)が正式加入。 |
| 2月、8thシングル「君をのせて」3月、9thシングル「STEPBYSTEP」、8thアルバム「WHATNEWS!?」発売。 |
| ポップス路線から初期ZIGGYに通じるシンプルなロックンロール、7分超の大作「暗流」まで収録したバラエティに富んだ内容となった。 |
| 4月~5月「WHATNEWS!?TOUR」を行う。 |
| 12月、10thシングル「SilentEveを待ちながら」をリリースするも売上枚数がこのシングルから激減する。 |
| グランジの影響を受けた重いサウンドと内省的で暗い歌詞が、賛否両論を呼ぶ。 |
| またアルバム発売に伴うツアー「'97SPRINGTOURCRAWL」では4人時代の作品を封印し、物議を醸す。 |
| また、この頃、森重のソロ及び戸城のLANCEOFTHRILLより続くバンドTHE SLUT BANKSも活動が本格化、宮脇はhidewithSpreadBeaverに参加と個人活動の期間も大幅に増加。 |
| ZIGGYとしては、6月、ビデオクリップ集「VIDEOdeZIGGY」12月にベストアルバム「What'sBest!?SINGLES1987-1997」を発売し、マーキュリー・ミュージックエンタテイメントとの契約が終了。 |